消された戦後〜上野駅地下飲食街

台東区上野7-1 JR上野駅 2003年1月18日

50軒もの飲食店があった地下街。今はすべてが姿を消した。
少女たちが向かっているのが不忍口。

JR上野駅は21世紀に入ってから大変貌を遂げた。
新幹線が東京発着になり、もはや「東北の玄関口」ではなくなった焦りからか、かつてのイメージを払拭し、「おしゃれなシティ感覚」を装うことに決めたようだ。
「かつてのイメージ」とは何かというと、「戦後の混沌」だろう。

昭和20年、上野駅周辺は戦災で一面の焼け野が原と化した。かろうじて雨露を凌げる場所は上野駅しかなく、大勢の被災者浮浪者がここに殺到し住み着いた。
今は不忍口(しのばずくち)と地下鉄・銀座線駅を結ぶ地下道は、そういった家なき人々で埋まった。
終戦直後を知る世代にとって、上野駅にはそういうイメージが焼き付いている。
戦後も長く、東北の玄関口として、不安と期待を抱いて上京してくる若者たちを迎え入れた。
昭和30年代末、ほかならぬぼくも、その一人としてこの駅のプラットフォームに降り立った。
もちろん、失意を胸に、北へ帰る者たちも無数だったに違いない。
いま、地上階に関して上野駅は泥臭さ、田舎臭さを薄めつつある。何せ、六本木に一号店を開き一世を風靡した、あの『ハードロックカフェ』が正面玄関にドンと店開きしたのだから。

JR上野駅正面玄関は「レトロタウン」として改装された。
エスカレーターの奥が『ハードロックカフェ』上野駅店。

当然ながら、店内にはロックやポップスがガンガン鳴り響き、いたるところに置かれたモニターは最新のロックミュージシャンのビデオクリップを流し続けている。壁にはキース・リチャードの使ったギターだとかマドンナの着たステージ衣装だとかが飾られている。
六本木と見紛う光景だが、よく見ると客は、上京した笠智衆と田中絹代みたいな夫婦だったり、泣きわめく赤ん坊を連れた若い夫婦だったりする。そりゃ赤ん坊は泣くぜよ。ハードロックがガンガン鳴り響いてるんだから。(笑)

やはり上野は上野の、独特の匂いがしみついている。戦後、ここを通りすぎた上越、東北人たちの体臭だ。
それでもJRはしみついた匂い消し作業をどんどん進めてきた。
その最後の匂いをとどめていたのが、例の不忍口の地下道。ここにはかつて50もの飲食店が軒を連ねていたが、最後は3軒だけが残った。洋食の『グラミ』、中華の『おかめ』、和食の『柳家』だ。
それぞれの店は、東北、上越の玄関口だった上野駅にやってくる地方の客が支えてきた。東京への行き帰り、これらの店で腹ごしらえするのが習慣になってしまった常連客は多い。
JRにしてみれば周辺はすべておしゃれな店にしたのに、ここだけ戦後が残っているのが気にくわなかったことだろう。立ち退け立ち退かないの長い攻防戦が続けられていたが、2002年11月、この3店はついに屈服して店を閉じた。
3店とも移転ではなく完全な店仕舞いだった。どの店も人情味たっぷりの経営者と従業員でやってきただけに、なじみの店を失った常連客たちの悲しみは大きい。
かくして上野駅地下から「昭和」「戦後」の名残りは消えたのである。

↑洋食の『グラミ』
品のよい親切な奥さんと美人の娘さんがいた。豚肉のショウガ焼がうまかった。
暑い日、ここで生ビールを呑んで徘徊の疲れを癒したものである。

↑和食の『柳家』

↑中華の『おかめ』

「上野のカーネル・サンダース」と言われた店主が入り口のところに座って、
「何を注文するか」をピタリと当てることで有名だった。

↑『おかめ』閉店の告知を見て驚き嘆く常連客。2002年11月20日

↑『おかめ』閉店の告知。なんと一代で戦後54年を生き抜いた店だった。


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