伊勢丹地下の秘密

新宿区新宿3-14-1- 2003年1月12日

長年、疑問に思っていたのが、この段差。
新宿は伊勢丹本店地下一階食品売り場。
なぜか一部分に段差がある。正確に言えば、伊勢丹本館の東南角。
売り場で言えば和洋の特選街。「とら屋」などが入っているところ。
「そういえば天井が低いな」と思い出される人もいるだろう。
上の画像は北側ワイン売り場から特選街を見たところ。
落差はかなりのものである。

こちらは西側の段差である。階段の蹴上げ高が微妙に北側と違い、こちらは5段になっている。
(北側が4段、西側が5段でも、降りた先のフロアは同一平面である)
百貨店のような大勢の人間が動き回る建物で、このように同一フロア内に段差があるのは、なんの得策もない。災害時には非常に危険な障害になることだろう。
どうしてこんな落差を設けたのだろうか。

掲示板のほうで報告したことだが、「男の新館」の前にあった「新宿丸物」という百貨店のことについて調べている途中、伊勢丹関係者の証言で、この段差の謎が分かった。
伊勢丹は昭和8年、新宿に進出して現在地に店舗を建築した。(建築は清水組)
ただし、東南角だけは三越と競合していた老舗の百貨店、「ほてい屋」があって、そのビルがあった。(大正15年建築)

マピオン地図(+印)

つまり、伊勢丹は当初、+印のところにあった「ほてい屋」のビルを取り囲む形にL字に作られたのである。
しかし、新宿進出にあたっては、ほてい屋の弱体化が前提としてあって、いずれは吸収できるという目途がたっていた。 そこで二代目社長の小菅丹治は合体後のことを見越して、自分の店舗のフロア高をほてい屋のそれと一致させて建築させたのである。
ほてい屋は3年後にギブアップ、伊勢丹に吸収合併された。(昭和11年)
丹治はすぐさま改築にかかり、昭和12年、一体化された現在の伊勢丹本店が完成した。

あらかじめフロア高を同じにしていたので、地上階の融合はまったく問題がなかった。
実際、伊勢丹の各階はほてい屋と合体した痕跡はまったく残っていない。
ところが、地下階だけは違った。
ほてい屋の部分は、天井高が2400ミリぐらいではないだろうか。
これでは売り場を広くとった場合、かなり息がつまる感じである。
だから伊勢丹のほうは、天井高を3200ミリぐらいにとって作った。

*2004年6月25日、携帯型レーザー測定器『ピッキョリ』で測定したところ、
旧ほていや部分の天井高は2400ミリ、伊勢丹部分は3000ミリ、その差は600ミリだった。

これで段差の意味が分かるだろう。かつてここに「ほてい屋」という百貨店があった、その名残りが地下の床に今も存在していたのだ。ほてい屋の残した唯一の痕跡がこれなのである。

ちなみに新宿の伊勢丹は徘徊老人が学生の頃からひいきにしている百貨店である。
秋葉原にあった伊勢屋丹治呉服店が前身で、それゆえ「伊勢丹」となった。
二代目社長の小菅丹治(ここは当主が代々、丹治を名乗る)が渋沢栄一の薫陶を受けて、経営の基本に儒教を据えた。
信義、道義を守りながら利益を追及するという倫理を重視した経営学によって、明治期から大正期の日本資本主義経済は独自の発達を遂げた。俗にいう「右手に算盤、左手に論語」という経営学である。
戦後も伊勢丹はその大方針を維持し、1994年に改めた経営方針も「道義」を基盤としている。
それゆえか、伊勢丹はスキャンダルのない、クリーンな企業として知られている。
堅実な商売に徹していながら時代の流れにも敏感で、この百貨店不況のなかにあって、伊勢丹だけは増収増益を遂げているのも、この経営方針のせいだろう。
ただ「男の新館」にあった伊勢丹美術館が閉鎖されたのが、唯一、残念なことであった。

伊勢丹本店のファサード。
昭和初期の名建築として評価されている。

*2007年6月の地下大改装で旧ほてい屋の床面は削られ、地下一階フロアは全面フラット化された。
1926年以来残されてきた旧ほてい屋の「痕跡」は、81年めにして消滅させられたのである。
お客はさほど気にしていなかったが、経営陣はこの段差が高齢の客を転倒せしめる危険な存在と認識しており、フラット化は長年の懸案だったらしい。
このフラット化で地下鉄通路側から入店するための段差も約600ミリ、低くなったと思われる。


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