館 淳一(SM作家・不肖の弟子)




汝の師を敬え


  昭和五十年夏、ぼくは失業中に書いた一編のSM小説を蘭光生氏に渡した。氏
はその原稿を司書房の『別冊SMファン』編集長の浅田氏へ送り、同年十一月号
に『凶獣は闇を撃つ』という題で掲載された。ぼくのデビューは蘭氏の推輓によ
るものであり、以来、ぼくは蘭氏の弟子を自称し、一方的に師弟の交わりをさせ
ていただいた。
  しかし、この弟子は不肖もいいところ、まったくイエスに対するユダみたいな
弟子であった。というのは、師の教えにことごとく背いていたからである。
  まず作品の傾向が全然違う。
  師は“レイプの帝王”と呼ばれ、『レイプ・レイプ・レイプ』という作品まで
書かれたレイプ大好き人間。しかし、不肖の弟子は、なんとレイプを書くのが苦
手なのである。そもそも暴力で女を犯すのが苦手で、これはSM作家としては軟
弱極まりないというか、許されざる資質と言うしかない。
  さらに、この弟子は濡れ場の描写が嫌いである。
  かつて『本の雑誌』で皆川正夫という人がフランス書院文庫の研究をやって、
その中で“濡れ場率”というのを調査した。その結果SM作家の中で濡れ場率の
トップは蘭氏で、平均67・4%。一方、不肖の弟子はなんと37・2%でビリ。も
う、師の作品からなーんも学んでいないのである。
  師の口癖は「SMにストーリーなんて必要ない」であった。
  師好みの餅肌美女がレイプされるシチュエーションさえ設定すれば、あとはレ
イプレイプレイプ、濡れ濡れ濡れで最後まで押してゆけばいい。面倒臭いストー
リーは、師にとって邪魔ものでしかなかった。
  しかるに不肖の弟子は、やたらややこしい筋立てに凝って、とにかく最初のサ
ワリに到達するまで百ページを要するなんてことを平気でやってしまう。まった
く師の狂乱怒濤のごとき迫力の片鱗もないのである。
  最初っから師は、この不肖の弟子の資質を見抜いていたらしく、だから終生、
まったく弟子の作品に目をとおすということがなかった。何一つ、アドバイスす
ることも誤りを指摘することもなかった。何のことはない、師はぼくのことを最
初っから弟子とも屁とも思っていなかったのである。
  師がいかにぼくの作品を気にも留めていなかったかというと、こういうエピソ
ードがある。
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 ある時、談たまたま銃のトリックの話にな師は上機嫌で言われた。
「寒い所で銃を不発にするために、小便をかけて凍らせるというのはどうだ。き
み、使ってみろ」
  不肖の弟子は呆然として声を失った。
「あの……(おそるおそる)、先生、そのトリックはぼくが最初に見ていただい
たデビュー作で使ったものなのですが……」
「…………」
  師の目は焦点を失い、しばらく宙をさまよった。つまり師は、ぼくの最初の作
品にろくすっぽ目もとおさず、それを推輓してくれたのだ。弟子もいい加減だけ
ど師もいい加減だよなあ。
 以下、師のさまざまなエピソードを思いつくまま記してみよう。
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  談たまたま、ぼくが編集者の指定した枚数よりかなりオーバーして渡したこと
を自慢気に話した時、師は烈火のごとく怒られた。
「絶対にそんなことをしてはいかん!」
「どうしてですか。編集者は原稿量は少ないより多い方がまだマシと言いますけ
ど」
「それは編集者のほうはいいかも知らんが、その陰で泣く人間がいるのをきみは
知らんからだ!」
「はあ……!?」
  そこで師は打ち明けられた。
「おれが一番ビンボーしていた時のことだ。某小説誌の色ものページ(ジョーク
、豆情報等)を担当させてもらって、その原稿料で親子四人ようやく食っていけ
てたのだよ。ところがある時、担当編集者から電話がかかってきて、『今月はあ
のページを切るから書かなくてもいい』と言うではないか。おれは呆然自失して
しまった。何せ、その原稿料が唯一の収入だったんだからな。わけを聞いたら、
ある売れっ子の作家が指定枚数を大幅にオーバーして、そのせいでおれのページ
が奪われてしまったんだ。そいつのおかげでおれたち一家は飢死するところだっ
たんだぞ!  それ以来、おれはそいつの名前を目にするだけで怒りでハラワタが
煮えくりかえる」
  その話を聞いて以来、弟子は師の教えを守って、指定された枚数キッチリに収
めるようになった−−ということはまったくない。相変わらずダラダラと書き流
し、大幅に枚数をオーバーして編集者を悩ませている。
                            ●
  ぼくが二十年ちかくも前、月刊PLAYBOYの編集者をやっていた時のこと
。アメリカの『Oui』という男性雑誌の、セックスに関する告白記事の翻訳兼
リライトをお願いしたことがある。
  この時、原資料として『Oui』誌を渡した。この雑誌、通関時にノーチェッ
クなので見事なヌードはすべてアンダーヘアーがバッチリというやつである。担
当編集者としては、当時なかなか国内ではお目にかかれないそういう雑誌を見せ
てあげることで、ゴマをすったつもりなのだが、これが裏目に出ててしまった。
  とにかく原稿がなかなか上がらない。電話をすると「明日には……」と言った
のに、次の日に電話する「ごめん。書けなかった。明日には……」と答える。こ
の繰り返しが続くうち締切ギリギリになってしまい、こっちも困ってしまった。
どう考えても、そんなに呻吟する原稿ではないのだ。不思議に思って尋ねてみた
。
「先生、『明日できる』『明日できる』と言ってちっとも出来ないじゃないです
か。どうしてですか?」
  師は情けない笑い声を洩らして打ち明けられた。
「あの『Oui』のヌード・グラビアを見ていると、ついムラムラとしてオナっ
ちゃうのよ。そうするとくたびれてなあ」
「くたびれるって、ひと晩のうちに回復するでしょう?」
「それがなあ、ようやく元気になって『さあ、やるぞ』と思って『Oui』を開
くと、またヌードに目がいって……。ゆうべは朝まで三回こいた。たはは」
「…………」
「何しろ、金髪の毛なんてなかなかお目にかかられないからねぇ。たははは」
「…………」
  ようやく、その原稿が出来たという連絡があり、ぼくは滝野川の先生の仕事場
に伺った。先生は浴衣をだらしなく着たような恰好で玄関に出てこられた。目は
血走り頬はゲッソリとこけ落ちて……。
  不肖の弟子は、その手の雑誌を二度と師に渡さないことにしたのは言うまでも
ない。
                            ●
  かくのごとく、師はまことマスター・オブ・ベイションの人であった。これな
かりせば数々の傑作は世に生まれなかったであろう。しかし、ぼく同様多くの編
集者が悩まされたのもこの嗜癖にである。
  しかも師は、自分の嗜癖を決して恥じるということがなかった。一度、桜田門
のお咎めを受けて出頭を命じられた時も、係官の尋問に答えて堂々とマスター・
オブ・ベイション談義をしてきたという。
  何しろ、ノってくるとオナってしまうのである。当然パワーダウンする。それ
を押して無理やり書きすすめるとまたノってくる。またオナる。おびただしい精
液が消費されて、ようやく作品が完成するのであった。
  ところが、特に名を秘す某『別冊SMスナイパー』という雑誌が、ある時若手
作家、イラトレーター、ライターなどを集めて、既成の雑誌や作家を糾弾する座
談会をやったことがある。
  この中で彼らが「蘭光生は、オナニーしながら書くって言ってるけど、そんな
こと出来るわけないじゃん」「そうだそうだ。締切に追われてる時に立つわけな
いじゃん」なんてことを小賢しくほざいたものだから、師は烈火のごとく怒られ
た。(師はとにかく烈火のごとく怒る人であったが、この時の怒りは実にすさま
じいものであった)。
「たわけ者めらが……!  そんな奴らがのさばっている雑誌には、もう書かん!
」
  この座談会に出席した「若手」の連中は、「オナニーしつつ作品を書く」とい
う作家が存在するということを信じられなかったのである。「締切だろが何だろ
うが、ノってきたらオナっちゃう」という作家が存在することを想像だに出来な
かったのである。何と心貧しき者たちよ。師はそんな連中がSMの世界ででかい
顔をするのが許されなかったのだ。
  蘭光生亡き後、狂乱怒濤の描写で読者を圧倒するSM作家が出てこないのも道
理である。
                            ●
  師は晩年にいたるまで、心貧しき小市民なら絶対に出来ないことにいろいろ邁
進された。
  四十代で泳ぎを習い、スキューバ・ダイビングに熱中して紅海にまで潜りに行
かれたり、探偵学校に入学して探偵術を学ばれたり、特に名を秘す某島地などと
いう編集者の口車にのって“占星仮面”などと名乗り、バットマンみたいな恰好
をしてテレビにまで出演された。考えてみれば、いろんなことやってんだよなあ
、わが師は。
  占星術といえば、万巻の書を読みついに独学で占星術をマスターされたのだか
ら凄い。その気になれば占星術で食えた人なのである。頼みもしないのにぼくの
星を占ってくれたが「当たった」という記憶が一つも無いのはなんとも残念なこ
とだが……。
  ある時は五十ccのバイクに熱中された。少し連絡がないと思ったら「いやー、
ちょっとそこまでと思ったら、面白くなってさあ、パコパコ走っているうちに能
登半島まで行っちゃった。ラッタッタって案外馬力あるぜ。乗鞍のテッペンまで
上れたからねぇ」
  そうだ、ある日突然「ゴールデン街全店を飲み歩く」という突拍子もない目標
をたて、実行したこともあったのだ。これはほぼ達成されたのではないか。おか
げで弟子は、いろんな店を教えていただいたのだが、ゴールデン街って、フリの
客で入るって勇気がいるもんだよね。人嫌いを自認した師が、どうしてそんなこ
とやってのけられたんだろう。驚嘆する他ない。
  そして、ある日、自分の娘と変わらない年頃の若い女性に夢中になり……(中
略)……ぼくたちはおそるべき電話攻勢の中で彼女の悦声を聞かされたり、ヌー
ド写真を見せつけられることになる。
  ぼくの手元には、勝手に送ってきたヌード写真が二葉ある。何か整理していて
その写真が出てくると「うーむ、むむむ」と唸ってしまう。しかし捨てることが
出来ないのはなぜだろうか。……(以下略)
  かくのごとく信じられないことをする人なのである。とにかく「やりたい」と
思ったら女房も子供も捨ててしまうのだから……。
                            ●
  我が師は好悪の激しい人であったが、中でももっとも憎んだものが二つあった
。
その一は特に名を秘さない某小林信彦という輩である。
この経緯を述べると長くなるが、師がこの人物を憎むこと、まことに甚だしいも
のがあった。彼の名前が話の途中に出てきただけで目が三角になって顔色が変わ
るのである。一度、月刊PLAYBOYの原稿を頼んでいた時、同じ号に小林信
彦の原稿が載ると分かった時、たちまち激怒されて「おれは書かんぞ!」と電話
をかけてきた。あの時は往生したなあ。その薫陶を受けてぼくもまた小林信彦が
大嫌いになった。会ったこともないけど、確かにイヤな顔をしてるもん。(ここ
だけはなぜか師に忠実な私)
  もう一つの天敵はワープロである。
  なぜか知らず、師はこの文明の利器を蛇蝎のごとく忌み嫌われた。そしてそれ
を嬉々として駆使している不肖の弟子もまた。
  ぼくの二度にわたる破門は、いずれもワープロが原因である。
  当時、ワープロが普及し始めて、ものを書く連中は誰もが関心を抱いていた。
業界の人間が集まるとたちまちワープロ論議になる。師はこれが我慢ならなかっ
た。師は博覧強記の人で、どんな話題でも応酬できた。しかしワープロだけは…
…。それなのに不肖の弟子たちは、ワープロの話しかしないのである。怒るのが
当たり前である。反省してます。しかしねー先生、ワープロって便利なんですよ
お。(全然反省してない)。
  師が亡くなられる少し前から、不肖の弟子はパソコン通信なるものにのめりこ
んだ。師が元気になられたら、絶対に薦めようと思っていたのだが……、どうせ
また、それで破門されていただろうなあ。
                            ●
  師が衰弱はなはだしく、フランス書院の三谷氏が再入院をすすめた時、師は頑
強に拒み続けた。
「入院したらまた点滴を打たれるだろう? おれの左腕も両足も、もう管が入ら
ない。最後に残った右腕に点滴されたら、腕が動かなくなる。そうしたら原稿が
書けなくなるじゃないか」
  三谷氏にそう言われたという。断食中のガンジーのごとく病み衰えた体に、な
お書こうという執念は燃え続けていたのだ。それを思うと不肖の弟子は慙愧の念
に堪えない。しかしぼくがその場にいたら、こう叫んでいたに違いない。
「先生、ワープロを使えば点滴なんてメじゃないです!」
  まったくもって救いがたい弟子である。
  先生、反省してますから、安らかにお眠り下さい。


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