新保博久(ミステリー評論家)




孔明は死すとも


 改めて清水聰先輩の魔力に感じ入った。
 まず、二年前亡くなったおり、日本推理作家協会会報五〇八号(一九九一年四
月)に「六つの人生を生きた男」と題して私が書いた追悼文を再掲させていただ
こう。
ただしこれは元原稿を残しておいたフロッピーからの再録なので、発表されたも
のとは少しだけ文章が違っている。

 もう五年前になる。“六つの顔を持つ男”のデビュー何十周年だか、著者何十
冊目だかを記念するパーティが行われた。
 その時の招待状が見つからなくて曖昧な話になるが、六つの顔の男とは、ミス
テリ&雑学評論家・間羊太郎、風俗研究家・小早川博、西洋占星学研究家・ウラ
ヌス星風、SM作家・蘭光生、そしてSF作家・式貴士と五つのペンネームを駆使
する清水聰氏である。
 六つ目の顔は本名なのか、それとも直木三十五にあやかり本名を少しもじった
清水三十四だったか。この最後の名前は、W・ヒューツバーグの『エンゼル・ハー
ト(堕ちる天使)』を抄訳ながら月間『プレイボーイ』誌上で初めて紹介するさ
い用いられたと記憶する〔後註、没後預かった切抜きファイルを点検してみると
、『少年キング』連載の黒田鬼彦構成の「妖怪の科学」があった。これも清水氏
のペンネームだったのかもしれない〕。
 清水聰氏としては、私にとってワセダ・ミステリ・クラブの最上級先輩にあた
る。 仁賀克雄氏の回想によれば、一九五七年暮、当時一年生だった仁賀氏の呼
びかけで同クラブが誕生したころ、翌春に大学院卒業を控えた清水氏が三ヶ月間
だけでも入部したいと申し込んできたという。したがって清水氏の会員番号は〇
番になっている。 その頃よちよち歩きだった私が大学も卒業間近、クラブ創立
二十周年記念の席上で初めて清水氏と顔合わせしたはずだが、何か話をしたかど
うか覚えがない。
 それよりさき、古本屋で見つけた間氏の『ミステリ博物館』にいたく感嘆し、
これが絶版であるのは勿体ないと、卒業後、マスコミ周辺で口に糊していたのを
幸い、社会思想社に文庫化の企画をもち込んだ。
 『宝石』連載時の題名『ミステリ百科事典』に戻されて現在に至るもロングセ
ラーとなっているが、これをきっかけに直接目をかけていただくようになった。
本協会入会の折にも推薦をお願いしたくらいだが、お会いしたことは数えるほど
しかない。
 六つの顔の男のパーティ以降、一度あったかどうか。その代り電話は頻繁にか
かってきた。実は氏は大変な人間嫌いで、少数の心を許した友人たちとも、もっ
ぱら電話でしか話さなかったという。
 読者としても、私が親しんだのはほとんど間羊太郎と式貴士のみである。六つ
の顔全部をよく知っている人がどれだけいるだろう。
 だが、その素顔をひとことに要約するなら、ダンディズムの人だったというこ
とは確信できる。直接の死因は心肺機能不全だが、食道癌の手術と抗癌剤の副作
用による体力低下がもたらしたものだった。やつれた顔や体を見せたくないと知
人の見舞も断り、おかげで生前のお別れも叶わなかったが、個室療養を主張した
のは、あかの他人に見られたくない意識が強かったせいだろう。同室者がいれば
、命取りとなった窒息は免れたはずだ。だが反面、みずから死期を早めてまでダ
ンディズムを貫き通したのは、見事な最期というほかない。
 来る五月三十日、富士霊園の作家之墓に納骨される際は、作者が最も愛した唯
一のSF長篇『虹のジプシー』が生前の希望により代表作として墓碑に刻まれると
いう。
 構成上はその原型をなすと思われる短篇「シチショウ報告」は、学徒出陣で夭
折した主人公が神様との賭に勝ち、七つの人生を生き直す物語である。その主人
公さながら、清水氏もどこかで七番目の顔を得て生き続けているのではないか。
 来世を信じない私にも、その七生目の氏から電話がかかってくるような気がす
る夜もあるのだ。もちろん電話はかかって来なかった。しかし、清水氏はしっか
り私を見張っておられたようだ。
 前掲の註でも触れたように、清水氏の遺された作品切抜きや資料など、縁あっ
て私がお預かりしたのだが、その後忙しさにかまけてうっちゃらかしておいた。
翌年二月十八日の一周忌までには何とか、少なくとも著作目録ぐらいは私家版で
でも出したいと、思っているうちに年が明けて一月十日、今度は松村喜雄氏の訃
報に接したものだ。松村氏は推理作家、フランス・ミステリの研究家・翻訳家だ
が、この方にも一方ならずお世話になっていたから、何やかや後始末を手伝って
いる間に、清水氏の一周忌は過ぎてしまっていた。
 なんとも面目ない話だが、年をとると生者より死者のほうが親しいものに感じ
始められるという、その時期が私にも訪れかけているのだろう。そういえば私は
、ちょうど清水氏の亡くなる直前くらいから現在に至るまで、江戸川乱歩の遠縁
であった松村氏の肝煎りで、乱歩亡き後そのままに放置されていた有名な土蔵の
整理も手伝っている。
 さてその年末、つまり去年末に推理作家協会の会合で、出版芸術社の社長原田
裕氏に会う機会があった。用事が済んで表参道駅のホームで別れ際、こんど「ふ
しぎ文学館」というシリーズを出すと聞き、ひとり一巻ずつになるその収録作家
も教えてもらった。そのなかに式貴士も含まれていたのだが、私はまだ思い出さ
なかった―預かった遺品のなかに、式貴士名義の未発表原稿らしいものがあった
ことを。
 歳ごとに横着になり、そして物忘れもひどくなっている。そういう原稿がある
ことを原田氏に出す年賀状にでも書き添えようと思って忘れ、年が明けて電話し
なければと思いながらまた忘れた。
 天上の清水氏も、さすがにやきもきされたらしい。今度は知人がスキー板を買
うのにつきあって神田へ出た際、この春出版芸術社に入社した青年に偶然出会く
わした。というより、清水氏が按配なさったとしか思えない。さすがに今度は私
も、そういう原稿が家にあるから取りに来てよと言うのを忘れずに済んだ。
 すると、単行本未収録短篇はもうないと思っていた、既刊短篇集から傑作を選
んで再編集するつもりで、もう収録作品もほぼ決まっているが、そういうものが
あるならもちろん差替えたいとのたまう。そこで遺品のホコリを約二年ぶりに払
うことになったが、期待していた未発表原稿「死人妻(デッド・ワイフ)」は残
念ながら十枚ばかり書いた第一章だけで未完、全集ではないのだからちょっと載
せられないという。しかし、未収録短篇九篇が遺品のなかにあったので、こちら
は極力生かしたいとのこと。多少はお役に立ったわけだ。
 それにしても、今回の作品集に私の申し出が間に合ったのは、まさにギリギリ
だったそうだ。この二月に「ふしぎ文学館」の一冊目、小松左京の『石』が出て
その続刊予告を見てからでは(私のことだ、見落していた可能性も多少ある)遅
かったかも知れない。となると、昨年末の地下鉄ホームでの会話の時から、清水
氏のマジックは働いていたわけで、この次にはどんな形で氏から連絡があるか、
楽しみにしている。


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