島地勝彦


(エッセイスト。元・集英社インターナショナル社長、かつて『週刊プレイボーイ』『日本版プレイボーイ』編集長を歴任)


いますがごとく


 私がはじめて蘭光生さんに会ったのは、二十七年前のことだった。そのときの
ペンネームは小早川博といった。それから二十数年、よく飲み、よく遊んだ仲で
ある。蘭光生さんは、あるときは小早川博になり、またあるときは間羊太郎にな
り、そしてまたあるときは式貴士となり、ウラヌス星風にもなった。だから清水
聡という本名を知る人は少ない。
 私がはじめて会った小早川博さんは、ちょうど早稲田大学の英文科博士課程で
イエーツを学んだ後、中学校の英語の教師をやり、ちょうど雑文家にでもなろう
かと思って、ジョークを研究していたころだった。一方私は、集英社から創刊さ
れたばかりの週刊誌、『プレイ・ボーイ』の新人のジョークの欄の担当者として
、どこかに面白いジョークを書ける人はいないものかと探していたところだった
。
 小早川さんは、すでに他の雑誌に無署名でジョークを連載していた。なんとか
他社の出版社の人に連絡先をきいて、電話をして、新宿の「風紋」というバーで
あったのが邂逅したはじめての夜だったと思う。
 そのときの小早川さんは、やせていて、いかにも秀才らしい白哲の端整そのも
のの顔に黒ぶちのメガネをかけていた。
 まだ二十五歳の私は、八歳年上のこの人の知識の深さに圧倒され、脱帽し、こ
の人に毎週会って、この博学を吸収しようと、心秘かに野心を燃やしたものだっ
た。告白すれば、後年、私が開高健氏の胸をかりて、ジョーク十番勝負など出来
た下地はここにあったと言って過言ではない。
 いかに博学強記だったか−−おしゃべりの小早川さんは、何冊も何冊も私が読
んだこともなかった海外ミステリーをストーリーからトリックまで諳んじていて
、よく深夜まで語ってくれたものである。まさに私にとって現代の語り部であっ
た。
 私はすばらしい才能の持主に会うと、ひとりで会うのはもったいないと思うた
ちで、すぐ集英社の同期の親友、O(後のSM人気作家、館淳一である)
と広谷直路(後の翻訳者小川水路である)両君を紹介したものだ。
 私は小早川さんの典雅な文体が大好きだった。だからよくこっそり私が考案し
、私が取材した面白い『週刊プレイボーイ』の特集記事をリライトしてもらった
ことがあった。ナンセンスものに特別の冴えがあった。リアリティをもって、ナ
ンセンス・ストーリーを展開していくには、生来のユーモアのセンスと相当の文
章力と類い稀な連想飛躍が必要なのである。早稲田でイエーツの詩を学んだ小早
川さんの脳ミソは勉強でこわれることなく、柔軟でしたたかだった。
 小早川さんと私はよく連想飛躍しては爆笑した。男同士は気が合うと一緒に仕
事をしたくなるものである。私たちは仕事にかこつけてよく飲んだ。後輩も沢山
紹介した。
 いま集英社の文芸書の編集長をしている櫻木三郎君もそのひとりだし、週刊プ
レイボーイの副編集長の熊谷英一君もそのひとりである。
 よく小早川さんは親しくなると突然絶交する「絶交癖」の持主だった。私など
何十回も絶交されたが、すぐ私のことは寛如してくれた。それは私が絶交された
ことさえ忘れて、あれはどういう意味だ、あれは何だと、いつも甘えて親しく尋
ねたから、あきれてしまったのだろう。
 あるとき櫻木君が親しげに長電話していて突然「絶交だ!」とどなられて電話
を一方的に切られてしまったことがあった。
 どうしてでしょうかと私に泣きついてきたので、私がこわごわなぜ絶交したの
か教えてくださいと訊いたことがあった。やっといつになく小早川さんの重い口
を開いたところによれば、櫻木君がなにげなく、「くどいですね、先生」と言っ
たそのくどいという一言が小早川さんにとって禁句だったらしい。
 熊谷君も入社早々、ジョークの原稿取りに行って大事件をおこしてしまった。
 そのころはファックスもなかったので、編集者はちゃんと自分で物書きのとこ
ろに原稿取りに行っていたのである。
 事件とは、オナニー中の先生の部屋に押し入ってしまったのである。絶交され
て、しょげかえって帰ってきた熊谷君に、私は心配するな、カギをかけないでお
水取りをする方にも非はあると思い、間に入ってことなきを得た記憶がある。
 それから数年の歳月が流れ、小早川博は突然、ひらめきを感覚し、SF小説を
書きはじめた。なかなかのユニークな作品だった。ペンネームを式貴士といった
。またある日突然、西洋占星術に傾き、ウラヌス星風と名乗り、週刊プレイボー
イで、占い対談を連載した。占星仮面インタビューとして人気を博した。
 そしてその後、突然、蘭光生となって、SM界の大家になった。
 若いころあまり酒は強い方ではなかったがだんだん強くなり、よくひとりで部
屋で原稿を書きながら、またお水取りにふけりながらウオッカをストレートで呷
っていたようだった。
 この辺はもうひとりの文豪、開高健さんとよく似ている。晩年に水泳に凝って
狂ったように泳いでいたのも、ふたりは酷似している。そしてふたりともほとん
ど追いかけるように食道ガンで憤死した。
 あたらすごいあの灰色の脳ミソが灰になってしまったのである。私の暗愚な脳
ミソを一生懸命カルチベートしてくれたあの脳ミソが。
 ふたりの私が親炙した天才の食道の微妙な粘膜がプールのさらし粉まみれのカ
ルキ水に犯されて、強いウオッカで焼けただれ、ガンになったのだと、私は怒り
を込めて独断と偏見で結論をくだしている。
 しかしいまでもよくひとりでぼうとしているとき、心のなかで小早川博さんと
会話している自分を発見することがある。
 そうなのである。小早川博は、私の心のなかでは、いますがごとくちゃんと生
きているのである。


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