野原 豊


(編集者、当時サン出版『官能締切』編集長)




眼を開かせてくれた作家・蘭光生先生
疎遠と接近をくりかえし


――あの日、僕は先生に六本木の「桜庵」という懐石料理屋に招待された。
(夏の終わりの、涼しい秋雨の降る夕方だった。ボクは日記をつけているので、
探して見たが、その日の事が見つからない。書かなかったのか、不思議でしょう
がない。)
 どうしてこういう成り行きになったのか。
 その頃、先生はよく食事の話をした。
 うまいものを食っているなぁ、いいなァ、とうらやましい思いをしたものだ。
しかしその豪華な食事も、ある女性とのデートのためだった。その頃、先生は熱
烈な恋をしていた。
幸せそうだった。
――SMのペットかな。女王様かな。
 と勝手に邪推していたが、「純愛だ」とはっきり言われたように記憶している。

 そんな折、僕は先生に、食事をねだった。
 原稿の締切りは守ってくれない、今月は書けないで、さんざん迷惑をかけられ
ていたから、迷惑料ぐらいに考えて、無心したのだ。
 しばらくして誘いがあった。しかし、いま思うと、あれは「別れの酒」であっ
たのかも。
 その日、会った時、先生の後ろ姿を見て、ヘンに足腰がほっそりしているのが、
目立った。こんなにやせ型でなかったはず、水泳が好き、ダイビングが好きな人
だからもっと頑健なはずだ。何か奇異な感じを抱いた。病気が進んでいたのだ―
―と今なら合点がいく。

 僕にとっては、二度目の懐石料理、一流所でのコースは始めてだった
 飲み・食い・話しての二時間余り、編集者になってはじめての貴重な数時間、
生きた体験になった。
――作家などなるつもりはなかった!!
 先生の予想外の告白。山本周五郎が好きだ。これはウレしかった。当時、ボク
は周五郎に夢中だった。女性観なども意気投合した。<生きた会話ができた>と
痛切に思ったことを今でも鮮烈に覚えている。    
 楽しい会話に、うまい食事。二人だけの心暖まる数時間だったが、別れはあっ
さりしていた。先生は疲れたのか、別れるときはさっさとタクシーをひろって帰
ってしまった。

 それから、間もなく、先生から失恋したという電話があった。(これは日記に
書いてある。平成元年9月2日だ)
 それから間もなくして、近く入院するという電話があった。
 見舞いはしないでくれ。郵便物はマンションに送っておいてくれ。
 といわれてその通りにした。そのうち元気になってまた執筆するサ、くらいに
軽く考えていた。なにしろ、先生とボクの間は疎遠な関係であった。昭和50年頃
初めて原稿を書い
てもらった時会ったのが初めてで、六本木での会食までの18年に、たった4回会
ったきりだ。
 僕は仕事に追われて、また先生と疎遠になってしまった。先生と僕の関係は濃
密さがない。

 そして、フランス書院の○○さんから突然「蘭光生サンが死亡した」という電
話連絡をうけた。衝撃だった。まさに青天のへきれき。
「そんなことが!! ガンだったとは!?」
 一度も病院に見舞いしなかった後悔が一辺に胸に押しよせてきた。新宿三丁目
の安酒場で編集者と朝まで飲んでいたことを人の便りに聞いていたのに。最後の
無頼派作家と自称する先生らしいな。危惧はあったが、元気そうでいい。そのう
ち元気になると僕は確信していた。
 平成3年2月9日、落合葬儀場のお通夜で、先生のやせたデスマスクに会った
。病気からやっと解放されてか、僕には先生の顔が天使のように感じられた。和
やかな顔立ちの中に初老を迎えた顔立ちがはっきり読みとれた。
 先生はクリスチャンだったのか? 初めて知った!! 驚き!! クリスチャンの
葬儀ははじ
めてで、牧師と一緒に賛美歌を唱和したのも初体験で夢中だった。先生、いい経
験をさせてもらってありがとう。

 実に、先生との交際はあっさりしたもので、ほとんど会うことなく電話ですま
せていた。
何と薄情は交際だったことか!! 朝まで先生と酒をつきあうような生々しい交際
を僕もしたかった。

 この思い出を書くために過去をふりかえってみたが、どうもあの日の会食は、
<僕という男との決別>であったのかと思えて、自分のうかつさに今更ながら身
震いした。
 先生、心をかけてくれてありがとう。
 豪華なごちそうありがとう。
 お返しもできず、申し訳ありません。
 そのうち天国であいましょう。その時、お礼をいいます。

 追記1――先生、天国はどんなところですか。天女たちもいますか。僕にはど
うも、先生が天女たちに縛られて、叩かれて喜んでいる風量が浮かんできてしま
うのです。
 生きているとき、あれだけ美女をレイプして小説を書いたんですから、罪滅ぼ
しをしないとイケないと論理的に思ってしまうのです。

 追記2――先生にごちそうになった「桜庵」のあの日のメニューです。これ記
念にもらっていくよ、と先生にことわってもらってきたものです。なつかしい!!

       六本木「桜庵」 涼風待月の献立

冷菜  ほうずき射込 吸純菜 ミニトマト 楓白瓜 玉こんにゃく
吸物  鱧 豆腐 小メロン 椎茸 梅肉 柚子
造り  白身魚 鮪 花丸胡瓜 芽物 山葵
凌ぎ  飯蒸し 牛ロース 木の芽
焼物  魴西京焼 青梅 つばめ生姜 蓮根煎煮
煮物  小芋含ませ 寄せ鱧子 冬瓜 隠元 葉山椒
小鉢  翡翠滝川 山葵 生雲丹 美味出汁
留肴  加茂茄子揚出汁 鴨 海老 オクラ 紅おろし
食事  稲庭うどん 温度玉子
水菓子 パパイヤ ライム
                      料理長 斉藤 衛


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