米田幸平(フランス書院)




蘭光生、グラビア騒動顛末期


 蘭先生とは、あくまでも作家と編集者としての付き合いではあったのですが、
先生が他界して二年余がすぎた今なお、強烈な思い出を僕の胸に残しています。
 思い起こせば、一九八五年一〇月から一九九一年三月まで五年半、隔月おきに
三六冊の文庫本を刊行し、僕がその実務を担当して出してきたのだから、ほとん
ど毎週のように話をし、叱られ、むくれられ、なだめすかすという繰りかえしで
した。
 先生はいつも、「僕を手なずけられれば、どんな気難しい作家とだって付き合
える」と豪語し、わがままを言いつづける自分を弁護しておられました。
 確かに、僕が十余年の編集者生活で出会った作家のなかで、一番わがままな人
だったと思います。そして皮肉なことに、僕が十余年の編集者生活で出会った作
家のなかで、唯一死んでしまった人でもあるのです。
 とにかく、どんな出来事も思い出となれば懐かしくなるように、先生との付き
合いは、本当に楽しかった。そんななか、こんな理不尽なことで怒られたのでは
たまったものではないというエピソードを、この追悼文で紹介しようと思います
。
 フランス書院文庫が創刊したのは一九八五年四月、今から八年前のこと。それ
から数年間というもの、ポルノ文庫は絶頂をきわめました。お蔭で僕も、テレビ
に出るわ、週刊誌に名前が載るわで、ずいぶんと照れくさい思いをしました。
 週刊朝日、サンデー毎日、週刊読売といった、新聞社系の週刊誌まで「ポルノ
文庫は時代のあだ花か」などと書きつつも、取材に訪れ、記事にとりあげたもの
です。
 そんななか、最も困ったのは、今をときめくあの『週刊文春』が、有名ポルノ
作家たちをグラビアで取りあげたいと言ってきた時です。しかも、蘭光生、綺羅
光、高竜也と名指しで、若い裸のギャルと戯れている姿を写真におさめたいと、
蘭先生も真っ青なわがままを申しこんできたのです。
 ポルノ作家というものは、記事として取り上げられるのはともかく、表舞台に
面を出すのを嫌うものだし、世間に顔を出したからといって、プラスになるよう
なことはほとんどないと思います。
 けれども、どうしてもグラビア企画にしたいという、しつこいほどの週刊文春
編集部にほざされ、僕は三作家の説得にあたることになってしまいました。
 知名度をあげる絶好のチャンスだとか、本がどんどん重版するかもしれないと
か、顔はなるべくわからないように撮ってくれるだとか、僕はいろいろと理由を
つけて綺羅光と高竜也は説き伏せることができました。
 そして案の定、最後まで難航したのは、蘭先生でした。
「冗談じゃない! すぐに断れ! 僕じゃなくてもいいはずだ。館さんなら出て
くれる。彼に頼め。僕はそんなところに顔を出すつもりは毛頭ない!」
 いくら頼んでも答えはノー。それでいて、一日に何回も用もないのに電話がか
かってきて、さんざん無駄話をしたあげく、最後にこう聞くのです。
「ところでさ、週刊文春はどうなった? もちろん僕は出ないけど……」
 蘭先生は、本当は出たいのです。もちろん、そこには作家としての好奇心もあ
ったのでしょう。でも、それ以上に、そうした有名ポルノ作家なるところの選に
、自分が入っていないのは許せないだろうし、入っていたことによる満足感とと
もに、まんざらではないという気持ちを持っていたのです。ただ、最初に「出な
いぞ!」といった手前、挙げた手の下ろす場所がないから意地を張っていて、時
間がたつにつれて出たいという気分が高まってきているのは、ありありでした。
それは僕の上司である三谷も、そう確信していました。
 結局、三谷と僕が、「フランス書院のために、先生、なんとか頼みを聞いてく
ださい」と丁重に頭を下げ、「仕方ないかな……」としぶしぶ納得するという形
で、ついに蘭先生の週刊誌に顔が登場することになりました。説得するのに数日
間を要したように記憶しています。
 さて、撮影当日。僕は朝から他の作家の撮影に付き合いました。高竜也は自宅
で若い女の子を裸ではべらせ、それを見ながら執筆する。綺羅光は専門学校の教
室を借りて、そこで女体を撫でながら教鞭をとる。そうした趣向のもと、撮影は
順調にすすみました。
 さて、蘭先生です。蘭先生の場合は、入浴中の女の子を泡まみれになりながら
洗ってやるという構図で、大塚にあるラブホテルの一室を借りて撮影は行なわれ
ました。
 そのラブホテル、今でいうシティ感覚なホテルのはしりで、けっこう明るく洒
落た室内で、淫靡な雰囲気はありません。
「こんな明るいところで撮るの? 恥ずかしいじゃないか……」
 などと言いながら、先生は終始ニコニコ顔。先生独特の「ふふふふふ……」と
いう笑い声が絶えません。モデルとなった女の子に、実にやさしく声をかけ、話
をしています。たまに僕のところに近づいてくると、
「この子、色が白くて餅肌じゃない。ちょっと太めだけど、僕の好み、好みだよ
……」
 そう囁きかけてきます。僕は、先生が途中で臍を曲げないかどうかが心配だっ
たのでひと安心。ホテルの片隅でホッと胸を撫でおろして見ていたのです。
 すると、なんということでしょう。撮影が佳境に入っていくにつれ、先生が裸
になりはじめたのです。本当は入浴中の女の子に、バスタブの外から手をのばし
、いやらしくオッパイを撫でさするだけでよかったのです。なのに蘭先生ときた
ら、
「女の子一人が裸で、僕が服を着たままっていうのも不自然じゃない?」
 そう言って、当時、スウィミングで鍛えていた、五十三歳とも思えぬ逞しい引
き締まった裸体を披露したのです。もちろん最初は青いビキニブリーフをはいて
いましたが、撮影が終わる頃には素っ裸で、女の子と一緒にバスタブに飛びこみ
、泡にまみれて「キャッ、キャッ、キャッ……」です。これには僕も口をあんぐ
り開けたまま、何も言えませんでした。
 帰りの『週刊文春』差しまわしのハイヤーの車中でも、蘭先生は一年分の躁状
態が一気にやってきたのではないのかと思えるほどの上機嫌。僕にとっては、と
にかくよかった、本当によかった、の一日だったわけです。
 ところが、翌日になって編集部に電話がかかってきた時は、昨日のような状態
ではありません。蘭先生も自他ともに認める、悪名高き鬱状態に入りつつあった
のです。蘭先生曰く、「家に帰って機嫌よく酒を飲んでいるうち、だんだんと、
悪のりしすぎたと思うようになり、そう思えば思うほど落ちこんできた」とのこ
と。
 僕はこの期に及んで、「グラビアに僕の写真を載せるのはストップしろ!」な
どと言われては大変だと、昨日の楽しかったことを並べたてて喋りまくり、先生
を昨日の躁状態に引き戻そうと必死です。
 その甲斐あってか、蘭先生もようやく気分が戻り、グラビアの写真掲載ストッ
プは免れて、僕は再び胸を撫でおろしたわけです。その一週間後にどんな事件が
待ち受けているとも知らずに……。
 さて、一週間がたちました。その朝、駅で週刊文春を買い、真っ先にグラビア
ページをめくると、写っていました。若いムチムチの女体をバスタブの外から上
半身裸(この時はブリーフをはいていたのですが、写真でそれは見えません)で
愛撫する蘭先生が。(そのグラビアはここをクリック)
 僕は電車のなかでニヤニヤしながら何度も見直し、先生も今頃は上機嫌だろう
なと思いつつ、出社したのです。
 案の定、机に座るなり、女子社員から「蘭先生から電話です」と声をかけられ
ました。僕はいつにも増して元気よく、「先生、おはようございます。文春、見
ました。よく写ってるじゃないですか」と言いました。
 ところが蘭先生、しばらくブツブツと陰気な声で何かを呟いています。
「?……先生、どうしたんですか? 写真の評判、すごくいいですよ」
 少し不安に襲われつつ、僕は先生の様子をうかがいました。すると、突然、先
生が大声を張りあげたのです。
「僕と一緒に写った女より、綺羅光と写っている女のほうがいい女じゃないか!
 僕はこの女と写りたかったんだ! なぜあの女を僕にまわさなかった! 僕の
女の好みを、君はわかっとらんのか!」
「そんな……そんなこと言ったって、僕は事前にモデルをチェックする立場にな
かったんですよ。あれは週刊文春が勝手に……それに、あの時は先生も、好みの
女だって言ってたじゃないですか」
「うるさい! 僕の好みはあっちなんだ! そんなことも知らないで僕の担当が
できるのか! もう君とは絶交だ!」
 ガチャン!……
 ものすごい剣幕とともに電話を切られてしまいました。
 すぐに上司の三谷が電話をかけ直したのですが、なかなか気分はおさまってく
れません。 その時、先生が三谷に語ったことをちょっとオーバーに書くと、次
のようになります。
 週刊文春が発売になる朝、前夜からやや興奮気味の蘭先生は、酒を飲んでもな
かなか寝つけませんでした。ようやく少し眠ったかなと思って起きると、まだ午
前五時。
 落ちつかないまま先生は、面白くもない早朝のテレビ番組を見、お茶を啜って
いました。が、もう待ちきれず、居ても立ってもいられず、そわそわと隣りのマ
ンションにあるコンビニエンスストアに出かけたのです。
 ところがこのコンビニエンス、二十四時間営業ではなくて、朝の七時オープン
。今の時刻は六時三十分。苛々しながら店の前に立っていてふと見ると、店先に
その日発売分の週刊誌や新聞が積まれているではありませんか。その荷物のなか
に、自分が登場する週刊文春も確かに入っています。
 もうこうなると、蘭先生はたまりません。思わずコンビニエンスのドアにしが
みつき、ドンドンと叩いて店の親爺を起こし、店を開けさせたのです。
 そうして蘭先生、すぐさま表にあった荷をほどかせ、週刊文春を三冊も買い求
めました。その際、なんと先生は、店の親爺に、この雑誌に自分が写真入りで出
ていると、自慢げに語ったそうです。この時の先生は、おそらく人生最高とも言
える躁状態、いや、ハイな気分に達していたのではないでしょか。
 こうして念願の週刊誌を手に入れた先生は、マンションの自室に戻るのももど
かしく、エレベーターのなかでパラパラとページをめくりはじめました。
 ありました。巻末のモノクロのグラビアに、『母、教師、レイプが三大売れセ
ン。ポルノ文庫ブームを担う第三の新人たち』と銘打って、最初に登場したのが
自分こと、蘭光生です。ちょっと二見書房の福山さんに似た、泡まみれの若いギ
ャルの裸身に手を伸ばすその姿に、先生は少しはにかみながらも、まんざらでも
ありません。
 次のページをめくると高竜也。なるほど、なるほど、高竜也というのは、こん
な面をしているのか。僕より歳くってるな……。
 などと思いながらさらにページをめくりました。
 !?……!……
 にわかに蘭先生の顔が蒼ざめ、やがて紅潮してきました。
 な、なんなんだ。綺羅光とかいう野郎が手を伸ばしているモデルは! 細身で
色白で、ちょっとインテリぽくって、大人っぽくって……僕の相手になったモデ
ルより、いい女じゃないか! 僕の好みじゃないか! 僕はこのモデルにしても
らうんだった。なのに僕に選ばせないなんて……この野郎! 米田の野郎! ふ
ざけやがって!……
 怒りでブルブルと体を震わせながら部屋に戻ると、先生は勢いこんでフランス
書院に電話をしました。しかしまだ朝の七時前、当然ながら呼び出し音がむなし
く鳴るだけで、誰も出ません。
 仕方なく蘭先生は、当時流行していたロンリコという強烈なラム酒を飲みなが
ら、フランス書院の三谷か米田が出社してくる時間まで、憤怒と嫉妬と屈辱に震
えていたのです。
 と、こういう風にして蘭先生は、他人から見れば理不尽以外の何物でもない怒
りから、僕を怒鳴りつけて電話を切ってしまったのですが、怒鳴られたほうはた
まりません。それから一週間、僕は先生から絶縁を言い渡されたまま、こんな馬
鹿ばかしいことがあってたまるか! 先生ももっと大人になってくれないと付き
合えないよ……と思いつつ過ごしたのでした。
 いま思いだしても、むちゃくちゃな話です。わがままな先生だったと思います
。
 でも、そんな蘭先生なのに、子供みたいな先生なのに、涙が出るほど懐かしく
ってしようがありません。いや、子供と同じ純粋さを持ったまま生きてこられた
先生だけに、決して憎まれることなく、僕のみならず、先生と出会った人たちに
皆、いつまでも愛されつづけ、こうして追悼文集を出そうということになったの
だと思うのです。
 僕の小さな自宅のリビングに、結婚祝いだと言って先生から貰ったパネル写真
があります。いつだったか蘭先生がスキューバーダイビングに凝っていた頃、ハ
ワイで気に入って買ってきた写真に、わざわざ立派な額を特注して、プレゼント
してくれたのです。
 先日、女房が「この写真にも飽きたから、気分転換に他の絵を買おう」と言い
だしました。当然、僕は烈火のごとく怒りました。これを誰に貰ったと思ってい
るんだ、と。
 夕日を浴びながら、巨大な鯨が気持ちよさそうに泳いでいる写真。
 これを見ていると、初めて先生に出会った頃、本当に楽しそうに、うれしそう
に、子供のように白い歯を見せて、スキューバーダイビングの話をしていた蘭先
生を思いだすのです。蘭先生は今頃、どこで何をしているのでしょうか。


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