工藤晃一(ミリオン出版編集部)



蘭先生との思い出


 忙しい日常の中でほっとひといきついて心をなごませる時、それが食事の時間
ではないだろうか。しかもそういった時こそ、コミュニケーションをとりリラッ
クスし英気を養うひとときであると思う。
 おいしい店を知っていて、酒のたしなみ方も知っている。当然のことながら、
食べ方や作法、会話に華が咲き、得るところが大いにある。そんな時間を過ごせ
ると、誰しも「食の充実感を味わうこと」ができ、有意義な時間だったと満足す
る場合が多い。
 そんな食事体験をさせてもらったのが蘭先生である。
 先生とお付き合いさせてもらったのは、今から5年ほど前になる。
 当時、私もようやく雑誌全般の進行をまかされ始めていたときだったが、まだ
まだ未熟なところがあり、ずいぶんと先生にはご迷惑をおかけした記憶がある。
いろいろと注意や指導をいただいたわけで、いわば先生に編集者としての心得み
たいなものを、実践を通して教えてもらっていたようなものだった。
 なかなかの恰幅があり、肌の色艶もよく、声はバリトンのように張りがあり、
SF小説家としても有名な先生は、好感のもてる紳士であった。
 私も何人かの作家の先生と仕事柄、お付き合いすることもあるが、この先生ほ
ど冒険心に富んだ体験を、食事の席でおもしろく話してくれる人もはかにはいな
かったであろう。
 特に先生は、スキューバー・ダイビングをやっていらっしゃるということで、
海の中がどれだけ神秘的か、その素晴らしさをとくとくと語ってくれた。
「いったん海中に潜ると海がきれいというより、水が美しいという感じだ。透明
度がすばらしい。しかも、海の中は鮮やかな色とりどりの色彩がひしめきあって
いて妖艶なくらいだ。
魚たちはまるで宝石のように光り、サンゴは海の中で咲く美しい花みたいだね」
 と、うっとりと語ってくれる。
 また、モータースポーツにも詳しく、伝統の欧州車やバイクなどのメカニカル
な部分や性能、歴史などについても語ってくれた。
 イタリア人気質とフェラーリ伝説、セダンスポーツとして時代の最先端をいく
アウディの隠された性能、華麗なるバイク、ドゥカッティーの官能美……。
 そんな話を酒を飲みながら、楽しそうにしてもらうと私などの場合、興味ある
話しだけについ聞き入ってしまう。ついついお酒がうまくなり、いつのまにか接
待のつもりで来ていたはずなのに、そんなことなどすっかり忘れて、話に興じて
しまったものだ。
 また、先生は食事の仕方についても、こんなことをおっしゃっていた。
「味を楽しむのもいいが、それだけではなく、料理人に旨さの秘訣を聞きながら
、食べるのもいいものだよ」とか、
「お酒を飲む時も、値段や銘柄なんかにこだわってばかりいてはつまらない。皆
と話題に華を咲かせて楽しむ。楽しさを共にすれば酒もまた格段とうまくなる。
そんな場があれば時間など気にしないで飲みにいくね」とおっしゃっていた。
 楽しさの醸し出すポイントをさりげなく教えられた。
 そして事実、先生のテーブルの周囲は、いつもソフトな笑い声があった。
 とかく、説教じみた話しの多いミドルエイジの中にあって、先生は落ち着きを
保ちながらも、その場のムードを盛り上げてくれる代表格であった。
 有意義なお付き合いをさせてもらっていた蘭先生だったが、まことに残念なこ
とに三年前御病気のため亡くなられた。
 今もときおり、年輩の方と酒を飲んでいるときなど、先生のことが思い出され
る。
 豊富な知識とユーモアを身につけ、それを周囲に与え、そして人を満足感に導
く。私にとってはかけがえのない、人生の師匠であったと思う。
 今は懐かしいことしきりである。


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