追悼文集・編集後記


(編集委員一同)

1994(平成6)年4月16日、富士霊園・文学者の森、霊前にて。


編集委員による長いあとがき

蘭先生亡きあと、命日のあたりにかつての担当編集者、不肖の弟子らが集まり、
先生の遺徳を偲び、在りし日のさまざまなご言行を肴に酒を酌み交わすのが恒例
になっておりました。
そういった酒の席で「先生の追悼文集を作ろう」と話がまとまったのは、あれは
いつのことだったでしょうか。たぶん一周忌にはすでにその話が出たのではない
でしょうか。
さっそく手分けして、先生と近しかったかたたちにお願いして追悼文を書いてい
ただきました。一年後にはほぼ集まったかと思われます。
ですから、ここに掲げた追悼文は先生没後1〜2年のうちに記されたものなので
す。
そしていま、2001年は先生没後、なんと10周年……。
毎年のように、文集をどのように発行するか話しあってきたのは事実です。
文章を書き、それを編集し本にするプロが集まってるのですから、追悼文集など
アッという間に出来る……はずでした。
それがどうして10周年を迎えるまで完成しなかったのか、誰か説明できるものが
いるでしょうか。いるとは思えません。強いて言えば「人生は不可解である」。
この一言に尽きるでしょう。(笑)
するうちインターネットの時代を迎え、誰かがハタと膝をうちました。
「ホームページにしてしまおう!」
なるほどテキストをデジタル化してしまえば、ホームページにしてウェブで公開
するなど簡単なことです。しかも2000年末までにすべてのテキストはデジタル化
を終えていました。まあ、追悼文筆者の何人がホームページにアクセスできるか、
はなはだ疑問ではありましたが……。

ホームページ化の話からさらに半年、ついに没後10周年の命日もはるかに過ぎて
ようやく暫定版ながら追悼文集ホームページが形をなしたのです。
あの世の蘭先生も、さすがに呆れたことでしょう。先生、ごめんなさい。
慎んでこのホームページを蘭先生の霊前に捧げるものです。

末尾ではありますが、追悼文を寄せられ、いまかいまかと完成を待ちわびられ、
そんなことはとっく忘れてしまわれたかたがたには、深くお詫び申し上げます。
また、完成を知ることなく逝去された千草忠夫先生のご冥福を、慎んでお祈り申
し上げます。

(編集委員を代表して)
                                館 淳一






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