堀 邦男


(現・日本出版社書籍部、当時・ミリオン出版出版部)




ほろ苦い秘密・・・・ある夢想家の告白


  F子は左手を私の腰に回したまま、足を縺れさせて歩いている。私も酔っては
いたが、右手をF子の腰に回し、頼りなげにうねる上体を支えるようにF子の体
を引き寄せながら歩く。星条旗通りの中央分離帯の植え込みを越え、二、三度ヘ
ッドライトに立ち往生しながらもなんとか反対側の舗道に辿り着いたところで、
F子は上体を大きく私に預けてきた。
「どこへ行くの」
「乃木坂の駅さ」
「私、もう歩けない」
  前方から明るい人声がし、三人連れがこちらへ向かってくる。ふと横を見ると
、二人が縺れて立っている舗道に面して、薄暗い闇がポッカリ口を開けている。
二人とも誘われるように闇の中へ入った。足元が悪い。ようやく闇になれてきた
目を凝らしてみると、一面にバラスを引いた駐車場であった。
  F子は無言で私のペニスをズボンの上からまさぐりはじめた。そうされるまで
もなく、すでに私のそれは、心地好くまとわりつくF子の柔らかな体と吐息を全
身に受けとめ、十分に屹立していた。
  私は正面からF子をぐっと抱き寄せ、唇を重ねた。ぽってりと弾力のあるぬめ
った唇の感触は、私の気持ちをさらに昂らせた。
「どこかで休みたい」
  F子は確かに歩けるような状態ではなかった。車を拾っても一人では帰れそう
にもない。このままF子を世田谷のアパートまで送っていけば、もう『青い珊瑚
』までは戻る気がしない。しかし『青い珊瑚』では、皆が飲みながら私の帰りを
待っている。いや、待ってはいないのかもしれないが、少なくともJ氏は私の姿
を見てホッとするはずなのだ。

  二次会で流れてきた『青い珊瑚』で、落研に所属するというまだ学生のF子は
、呂律の回らない舌で「これから落語をやります」と宣言し、幾つかのグループ
に別れて歓談していた全員の耳目を引いたが、酔っているためか上手く話せなか
った。そのうちF子は先に帰ることになり、たまたま私が近くの駅まで送ること
になったのである。
  F子は一次会のパーティでも明るく振る舞い、ゲームで当たったセクシーなシ
ョーツをトイレで穿き替えてきたことを酔眼で話すなど、かなり酔ってはいた。
「F子ちゃんかなり酔ってるから、地下鉄の駅まで送って来てよ」
  J氏は私に言い
「後で電話をするからね」
  と、やさしくF子に言った。

  私はF子を抱くようにして外苑東通りに出ると、右折し、乃木坂とは反対の六
本木の交差点方向へ進み、ホテルIにチェックインした。
  私は薄いブラウスのうえから緊くF子を抱き締め、そのままベッドに倒れこん
だ。二人は、暫くのあいだ唇を吸い合い、お互いの体を確かめ合った。そして、
F子の瞼、鼻、頸筋、耳朶を、私の唇と舌と歯で確認していった。
  やがて私は上体を起こし、F子のブラウスのボタンを一つひとつ外し、スカー
トのジッパーを静かに下ろしていった。F子はスリップを着けていなかった。ブ
ラを外しショーツだけにすると、私はバストから下腹部にかけてゆっくりとマッ
サージをするように撫でていった。
「あうっ」
  F子はうめき声に近い吐息を小さく洩らした。そして、
「先生のところへ戻らなくてもいいの?」
  私が今もっとも気にしているところを突いてきた。
「これから店へ戻って、解散したらまたここへ戻ってくるよ」
  私は、先程駐車場でF子と抱き合ったときに漠然とこのシナリオを考え、そし
てそのまま実行に移してしまっていたのだ。

『青い珊瑚』に戻ると、先刻F子を連れて外へ出たときほどの賑やかさはなく、
皆少し落ち着いた感じで飲みながら談笑していた。
  J氏は私の顔を認めると、にこやかに
「F子ちゃん、大丈夫だった?」
「ええ、大分酔ってはいましたけど」
「そうか、大丈夫かなあ」
「電車に乗せてあげたの?」
「ええ」
  それから話題は変わり、一時間ほどで散会したが、それまで私はどの様な会話
の中に居たのか、まったく上の空であった。一方、今日のパーティの主役である
J氏は上機嫌であった。

  ホテルに戻り、廊下の自販機でビールを買って部屋に入ると、F子はベッドで
横になっていた。それからシャワーを浴び、私たちはベッドで激しく抱き合った
。
「貴方は縛らないの」
「時と場合によるね」
  私はこれまで、そのようにしたことは一度もなかっが、何故かそう言った。
「私、先生とも寝たことがあるの……」
「…………」
  私は努めて平静に
「先生、後で電話をするって言ってたよ」
「今日はもういいわ」
  部屋の中で、カーテン越しに窓全体が薄明るく浮かんできた。

  ホテルからそのまま出社すると、J氏から電話が入った。
「昨日、F子ちゃん相当酔っていた?」
「ええ」
「あの子、僕のファンなんだよ」
「SMの方ですか、SFの方ですか?」
「両方だね」
「はあ」
「まだ寝ているのかもしれないな。また後で電話してみるよ」
  どうやらF子はまだアパートに帰ってきていないらしい。ひょっとして、J氏
は何か感づいているのかもしれない。
                                      *
  J氏とは、そう、蘭光生氏である。このパーティは、一九八六年六月一日に行
われた、氏の『五十三歳で単行本五十三冊突破記念パーティ』である。私はこの
ことで、氏に対してほろ苦い秘密をもってしまった。

  私が蘭光生氏の名前を知ったのは今から二十年ほど前、当時勤務していた出版
社で発行していたSM雑誌の著者としてだった。その当時から団鬼六・千草忠夫
氏と並んでSM作家の御三家として知られていた。
  そして、ミステリー作家、ミステリー評論家、占星術等々で数多くのペンネー
ムを使い分けていたことや、氏のペンネームの一つ蘭光生が<乱交セイ>をもじ
ったものであることとかを知ったのは、それから五、六年後、ノベルスの担当者
として氏と仕事をするようになってからのことである(ペンネームの謂われにつ
いては第三者から聞いたもので、定かではないが)。
  仕事がら多くの著者と付き合ってきたが、いろんな意味でもっとも刺激を受け
た著者の一人であった。
  ゴールデン街で夜を明かしたり、蕎麦の食べ歩きをしたりしていたことなどが
、昨日のことのように思い出されてくる。
  氏は今、桜とツツジの奇麗な、広大な富士の裾野に眠っている。


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