姫野カオルコ


(作家)




わかった蘭先生の肌論


 蘭先生はときどき電話をくださいました。
「人に会うと原稿が書けなくなる。だから受取に来てくれた人にも会わずに、指
定のポストに入れておいてそれを持って帰ってもらっているんだよ」
 と、おっしゃる先生にとって、電話はぎりぎりの接触メディアであり、同時に、
最適のメディアだったのでしょう。電話は「言葉」だけが頼りのメディアです。
誤解を招く危険性がたいへん高いメディアですが「言葉」の感度が敏感な人には
「刺激のあるメディア」であったのだろうと思います。
 長電話の中で、先生が頻繁におっしゃったことがあります。
「女性は肌の色が白くなくてはいけない」
 これは電話でなくても、蘭先生と交流のあった方ならどなたでも一度は耳にさ
れたのではないかと思います。
 けれど、先生は電話ではもうすこしくわしく「白い肌論」を聞かせてください
ました。
「小泉今日子なんていうのは色が黒いね」
 先生からそう言われたとき、私は、
(そうかなあ……)
 と、合点がいかなかったものです。たとえば、杉本彩とかRIKAKOとかに
対してこうおっしゃるならわかります。小泉今日子がそんなに色が黒いでしょう
か?
 私がその旨、反論すると、
「杉本某なんぞはハナから問題にならん」
 と、おっしゃり、
「斎藤慶子」
「宮沢りえ」
「秋吉久美子」
「名取裕子」
 などなど、次々と「色が黒いと思う女優(タレント)」の名前をお挙げになり
ました。
(どうして?)
 私はますます合点がゆきません。
 先生が列挙なさった人はみな、世間では「色白の美人」というようなキャッチ・
フレーズがついてそうな人ばかりです。
(へんだなあ。へんだなあ)
 そう思った私は、ある日、F見書房のF山さんに言いました。
「蘭先生って色が白い人まで色が黒いとおっしゃっていませんか?」
 私の問いに、F山さんは、
「先生は独特の肌へのこだわりがあるみたいですよ」
 と答えてくださったのですが、独特の肌へのこだわり、などといった統括的な
表現では私の疑問は解けません。
 そこで、電話があるたびに、私は先生に、
「先生はどういう人を色が白いと思われるのですか?」
 と、尋ねておりました。ですが、
「島崎雪子は白いね。うん、あれは白い肌といっていい」
 と、おっしゃられても、私には島崎雪子という女優さんがよくわかりません(
ですから、もしかしたら、この記憶もまちがっていて、先生が名前を挙げたのは
別の人だったかもしれません。昔の映画に出ていた人です)。
「ほかには?」
「ほかに? そうだなあ。山口美江は白い。彼女自体は好きではないけどね」
「ふうん……」
「新藤美恵は、色は黒いが色っぽいよ。すごく色っぽいな」
 こんなぐあいに話してくださるのを聞いておりますと。どうやら「色が白い、
イコール色っぽい」という意味でもなさそうなのです(なにをもって色が白い、
っていうのだろう、なんなんだろう?)
 私はずっとふしぎでした。
 そうするうち、先生がもっとも色が白いとする女優が判明しました。松坂慶子
です。
「松坂慶子とは銀座のクラブで出会ったことがあってね。それはそれはきれいだ
った。握手をしてもらったんだが、握ると皮膚がないような感じなんだよ。溶け
そうなくらいなんだ。抜けるような白い肌とは、彼女のことをいうんだ」
 私は、すこしわかりかけまして、
「じゃあ、もしかして、先生は大信田礼子のことも白いと思ってませんか?」
 と、訊きますと答えは予想どおりYES。
「それに『関口宏のサンデーモーニング』のコメンテ−ターをしていて、『連想
ゲーム』にも出てた、フルート奏者の山形由美。あれが白い。いい肌だ」
 ともおっしゃいました。
 私は先生の女優の好みを聞きつづけた結果、先生のいう「白い肌」とは、きっ
と「皮膚の表皮が薄い肌」のことなんだと理解したのです。
 皮膚の表皮が薄い、というのは、べつに痩せているという意味ではありません。
痩せている太っているとはかかわりなく、女性のストッキングでいえば、タイ
ツかフルサポーティかシアペーヌか、ということです。
 白いタイツ、白いフルサポーティでは先生の「色が白い」ではないのです。シ
アペーヌのような薄い透明な皮膚が「色が白い」ということなのです。
 そうではありませんか、と、先生がお元気になられたら尋ねようと思っていた
のですが、間に合いませんでした。
 空に向かって尋ねることにします。
「先生、そうではありませんか?」


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