早川佳克


(現・フリー編集者、当時『SMスナイパー』編集長など)



“六つの名前を持つ男”と私


 その人は初め“間羊太郎”だった。
 私の大学時代のことだった。ミステリー好きの私は『ミステリー博物館』とい
う新書を書店で見つけた。
 それが、私とその人との出会いだった。
 たまたまというか、その本は、私の好きだった『エロチカ』という雑誌を出し
ていた三崎書房から出ていた。
 そして、私は大学生活最後の賭けとして、その出版社に面接にいくことになっ
た。
 次にその人にあったのは、三崎書房に入社して、営業へ回された時だった。 
 新刊間際の新書が積まれていた。『SM博物館』“蘭光生”  と書かれてい
た。私は全国の書店を回りつつ、その本を置いてくれるように頼んだ。
 実際のその人に会ったのは、入社してから半年ほどしてからだった。営業での
見習い期間を終え、晴れて『エロチカ』の編集部に配属されて一週間ほどたって
いた。古い木造の二階屋の二階、狭い編集部の部屋に、その人は西部の勇者デー
ビー・クロケットのようなバックスキンの上着を着て現れた。
 当時、『エロチカ』に海外ジョークや翻訳の紹介などを執筆していた“小早川
博”だった。
 その三人が同一人物だと先輩から知らされたのは、その人が打ち合わせの後、
帰ってからだ。 
 三崎書房が倒産した後、私は『幻想と怪奇』という雑誌を編集することになっ
た。しばらくした頃、編集顧問の荒俣宏と鏡明が『SMキング』を持ってきた。
面白いから見てみろというのだ。
 その中に“蘭光生”がいた。 
 初めて、博物誌家ではなく、フィクションも書ける作家なのだという認識が芽
ばえた。 
 その後『幻想と怪奇』も休刊になり、私は失業の末、司書房の『別冊SMファ
ン』に編集者として再起を期すことになった。
 入ってみると、その人は長篇連載『永遠の囮』を執筆していた。私は運悪く、
その担当になってしまった。
 そして当時、滝野川に住んでいた“清水聰”宅へ通うことになった。その内、
自宅での原稿の受け渡しが、酒を飲みながらの打ち合わせへと変化した。
(この裏には、有名な“オナニー発覚事件”が微妙に影響しているのでは……と
愚考している)
 その人との酒席は楽しかった。次から次へと話をつむいで、笑わせ、考えさせ
る。柔軟で旺盛な知識欲は、なんでも面白がってくれた。
「えっ、そうなの!?……ほんとにィ……ケラケラ」
 おもわず話に引き込まれ、十時のつもりが、あっというまに二時三時と長引い
てしまう。
 それまでほとんど下戸に近かった私を、飲酒をいう悪癖に誘い込んだのは、そ
の人だったように思う。 
 新宿の夜の巷を連れ歩かれた。いかがわしい場所に踏み込まされ、おぞましい
人々と付き合わされた。そして、いつの間にか私も彼らが好きになっていった。
 純だった私の転落は、こうして始まった。
 それからは、私が竹書房へ移れば『ギャンブルパンチ』で“ウラヌス星風”と
して占星術のコーナーを持ち、そればかりか、妻の編集していた『奇想天外』で
までも“式貴士”名でSFを著す、と、その人の多芸多才ぶりを目の当たりにし
ながら、もうドロドロの関係となっていく。 

 その人との二十年にわたる関係は、こうした六つの名前を網羅するものだった。
 でも、その人との関係が、いつもうまくいっていたとは限らない。
『別冊スナイパー』を編集していた時だった。未完に終わっていた『永遠の囮』
を完結させたいと言われたので、まずそれまでの大長篇の再録から始めた。
 いよいよ書き下ろしが始まったが、物語は特に新展開をみない。あいも変わら
ずの一室の中へ、囮となったヒロインの関係者が次から次へと引き寄せられ囚人
となるだけだ。そのままではその部屋は女で足の踏み場もなくなるのではと思わ
れた。
「先生、いつごろ完結するんでしょうか?」
恐る恐るおうかがいをたてると、
「いつでもいいよ、SM小説に特別な結末はいらないじゃないの……」
平然とした顔をしておっしゃる。
それじゃなんで延々と、再録までして読者をひっぱったのかと茫然としてしまっ
た。
 小説の結末になんらかの落ちを求める私は、その人のネバーエンディングスト
ーリーのSM小説手法には批判的にならざるをえなかった。
でも、その話をつむいで終ることのなかったその人が、もう話すことをやめてし
まったとは……。
好奇心と冒険心旺盛な人だから、まだまだ第八、第九の名前にチャレンジして、
私たちを楽しませてくれたのではないかと思うと残念でならない 
 まだ、あの楽しそうな                             
「そうなのよ……クックックッ……」
 という明るい笑い声が聞こえるような気がします。
 主に飲んでいる時です。
 いたずらそうに、声をひそめて、
「ねェ、ねェ、知ってる?……面白いんだよ…… 」
 最新のビッグニュースを囁いてくれます。
 いいえ、私は知りません……でも、先生、夜はまだ長いんだから、ゆっくり飲
みながら、終わりのない話を聞かせてもらいましょう……。 


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