千草忠夫(SM作家・故人)




「一期一会」の人


 蘭光生氏とは生前たった一度しか会ったことがない。
 氏が亡くなられる少し前のことだったが、某SM雑誌の編集部がSM作家の座
談会を企画して、そこに氏と館淳一氏、それに私の三人が呼ばれ、SMクラブの
ホステスをまじえて、各々のSM経験、創作の裏話などを話し合ったことがある。
 その時、氏と顔を合わせたのが初対面で、それが最後になったわけだが、初対
面だったにもかかわらずその時の氏の印象が妙に薄い。その後のことを考え合わ
せて「影が薄かった」と言えるかも知れない。というのは、その席で氏は喉を痛
めているとかで憂鬱な顔をしたままあまり発言せず、座談会の後で行われたホス
テスを各自の好みに縛るというパフォーマンスにも参加しなかったからだ。(あ
るいは私がパフォーマンスにはしゃぎ過ぎて氏の印象を消してしまったのかもし
れない)そしてその後しばらくして氏が喉の切開手術をしたということを耳にし
たのだった――
 こんなわけで氏は私にとって文字通り「一期一会」の人になったのだが、氏の
小説についても愛読者とはいえない。初期の頃のものはかなり丹念に眼を通して
いたつもりだが、やがて妙に反発するものを感じ始めて全く読まなくなった。氏
が雑誌の連載を離れて書下しの「レイプ」もの一本に入ってからは全くの食わず
嫌いになってしまった。
 いま氏を追悼するに当たって、その理由を少し考えて見たい。
 氏がミステリあるいはSFばたけの出身であることは周知の事実である。私はそ
の方面の氏の小説といえば式貴士の名で発表されたSF(あれがSFと呼べれば
だが)の短編集を一冊しか読んでいないし、その今に残る印象も鮮明とは言いが
たい。その不鮮明な印象の中にわずかに際立っているのは「グロテスク」という
ものだ。
 そしてその「グロテスク」は氏のSMの初期のある作家の印象に結びつく。それ
は第三次世界大戦で荒廃した東京にわずかに生き延びている女たちを一人の青年
が次々と犯していくというストーリーのものだった。
 廃墟と飢餓と無警察状態に気息庵々としている女たちに追い討ちをかけるサジ
ズム―― これはもう「グロテスク」としか言いようがない。この印象はマルキ
・ド・サドの諸作品を読んだ感じに近い。そして私はマルキ・ド・サドの小説は
――その思想は別として――好きじゃない。(ここで急いで付け加えておくが、
私はSM小説にグロテスクは要らないと言っているのではない。要はその提示の
方法にある)
 だが、氏はすぐに「青春もの」とでも言うべき、なんの屈託もない明るい良家
の青年たちが同じ良家の娘たちを襲うというタイプの小説を発表することになっ
た。それがやがて「学園もの」とも呼ばれるべき一連の作品に発展していくのだ
が、そこに見られる遊び感覚、アッケラカンそしてスポーティーなSM――そん
なSM感覚にも私は反発を感じないわけにはいかなかった。アッケラカンそして
遊び感覚のSM――その底から立ち昇るそこはかとないニヒリズムの臭いが私を
嫌悪させたからだ。
 ニヒリスティックなSM小説は、これまで私も何度か試みてはいる。だがその
都度失敗した。遂に私は廃墟に食を求めてさまよう女たちを襲うことなどできな
いタイプの人間だと悟った。私のSMはいわば女性美の讃仰に尽きる。そしてそ
んな人間はニヒリズムとは無縁だ。
 それに私は女を責めるのにとてもアッケラカンとしていられない。薄暗い罪の
意識が必ずつきまとう。これは場末の薄暗い本屋の片隅から人目を忍ぶようにし
て「奇譚クラブ」を買い求めた時代から、厳しい検閲の眼をかいくぐるべく表現
に苦心を重ねた経験をへて、 習い性となったのかもしれないが、とにかくタブ
ーめいたものをみずから科さなくては私のSMは発動しないのだ。そこにスポー
ティーな感覚が入り込む余地はない。
 最近某出版社から団鬼六氏の「花と蛇」が「完全改訂版」と銘打って再出版さ
れた。何十年かぶりに読み返して見て「ああ、これがSM小説の原点だったんだ
な」と感慨を新たにした。
 この源流に発した流れは何十年後の今日、多くの支流をかたちづくってその裾
野を大きく広げている。蘭光生氏もその大きな支流のひとつをかたち作った一人
だ。それは「レイプ小説」とも名づくべき流れをかたちづくっている。
 だが私の立場からすれば「京は京、西は西」との感が漂う。
 その意味でも氏は「一期一会」の人であった。

*千草忠夫氏は平成7年(1995年)1月12日に逝去。享年64でした。


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