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カバーイラスト 金本 進
カバーデザイン 井上則人デザイン事務所


生贄の制服

〜美少女と美少年 悦楽の奴隷調教〜

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《読者からの解説と感想》

 それは、運命の再会だった。
 SMマニアの夫婦の誕生パーティの生贄として選ばれたのは、リリアンと聖子という美しい奴隷だった。互いの姿を見た時、二人に驚きの表情が浮かんだ。そう、二人は初対面ではなかった。あの悪夢のような一夜以来の、奇跡ともいうべき再会だった。
 聖子は思い出す、二年前、夢見山市の古本屋『ブックス・バク』の二階で繰り広げられた凌辱の宴のことを、そしてそこで二人同時に「処女」を失ったことを……。

「うん、この手触りがいいんだな。木綿のぴちぴちパンティを穿いた女の子の股に触るのが。お尻にパンツがこう食い込んでいる。このゴムのあたりの肉が盛り上がっている部分、これが何とも言えない……。もちろん、このふっくらと盛り上がっている丘もね、掌でこうやってくるむようにするのがいいんだ。こういう快楽はパンティを穿いているから味わえるんだよ。パンティを脱がしたり毛を剃ったりしたらつまらない……。パンティの下に毛がもわもわ生えて押しつぶされていて、ふわッとしたまんじゅうのようなのをこうやって掌でくるむ、これが処女を楽しむときの醍醐味だ。うん、パンティをすぐ脱がしたがる男の気が知れんわ。そんなやつらは射精する快感だけしか頭にない、ケダモノ以下の、想 像力ゼロのアホバカだ……。そういうやりたいだけのアホバカ男に処女を奪われることにならなくて、おれのようなセックスのグルメに捧げるのは幸運なんだ。百合香は幸せだと思わなくちゃいかんぞ。一生忘れられないような経験を、今夜一晩かけて味わわせてやろう」
                                     (第七章 セーラー服の二人)

 館淳一作品を読んでいると、必ずといってよいほど、ハッとするような新鮮なフレーズに出会うことがある。それは、印象的な台詞や描写であったり、今回引用した部分のように、作者自身の見解を登場人物に語らせたような、興味深い指摘だったりする。アフォリズムとまではいかないまでも、これは至言である。直接的なセックスだけではなく、そこに至る過程をたっぷりと楽しむこと、いわば前菜の味わい方に関する、まさにグルメからのアドバイスでもあるのだ。それにしても繊細な感触が伝わってくる、名台詞である。男性なら思わずパンティごしに女性の秘部を愛撫したいと思うだろうし、女性ならあそこらへんがムズムズするに違いない。百冊を越える著書を著しながらも、常に新たな視点や感覚を開拓し、手垢にまみれた表現や展開に堕すことなく、新鮮な感動を読者に与えてくれる。それが館作品の魅力であり、多くの固定読者を持つ所以だろう。館作品とはじめて出会ってから二十年以上になるけれど、新作を読むたびに、この作家の底知れぬ魅力の虜になってしまう。そして思うのだ、もっと読みたい……と。
 こんな作家、ちょっといない。
 そんな館淳一が本作で用意したのは、古本屋という舞台である。
 古本屋でSMというと、ミステリ・ファンならまず思い浮かべるのは、名探偵・明智小五郎が初登場する作品としても知られる、江戸川乱歩の「D坂の殺人事件」だろう。この作品は乱歩が実際に団子坂で古本屋を経営していた経験に基づいて書かれたものだが、確かに古本屋には、どこか淫靡な雰囲気があると思うのは、わたしだけだろうか? 古本屋のちょっとカビ臭い匂いに誘われて、店の奥の方に歩を進めると、そこにはビニールに包まれたグラビア雑誌や、今まで名も知らなかった作者が私家出版した豪華な装丁のポルノ小説が並んでいたりするのだ。別の目的で入った古本屋で、そんな本を発見して、思わず手に取った経験、本好きな人にはきっと一度や二度はあるに違いない。
 乱歩ファンのわたしは、間違いなくこれは館版「D坂の殺人事件」だと確信した次第である。
 ところが、作者本人の掲示板への書き込みや、著作リストの《作者より》を読んでびっくり! この古本屋には、実在のモデルがあったのだ。詳細は作者の言葉に譲るとして、あるモデルに対して作家が想像をめぐらせて描いた物語が、実際の出来事と酷似しているというのは、奇遇というか、面白い。それだけ作者の想像力にリアリティがあったということだ。
「事実は小説よりも奇なり」とよく言われるけれど、それは突発的な事件や、全貌の明らかにならない断片的な事実は、小説のような整合性がなく、時にとても不条理に見えるからだ。作家の想像力は現実世界にちりばめられた点と線を繋いで、論理的に納得出来る筋道を見出だし、そこに魅力的なディテールを盛り込むことによって、興味深い読み物に仕立て上げる。だからこそ、小説には現実にはありえない面白さがあるのだ。
 そういう意味で本作品は、館作品の中でも異色作と言えるかも知れない。
 もちろん官能小説というのは大人のファンタジーであり、荒唐無稽であってかまわないのだけれど、実際にありうる物語として読むと、描写のひとつひとつに「こうであったかも知れない」事実としてのリアリティが付加され、そこがまた読者の想像力をかきたてるのだ。
 この作品を読みながら、さまざまなことを思い出した。
 だけど、わたしが思い浮かべたのは、実は古本屋ではなく、館作品を初めて買った新刊書店である。街の目抜き通りよりちょっと奥まったところにあったその本屋には、当時一部で評判だった三流エロ劇画の雑誌や単行本のラインナップが充実していた。富士見ロマン文庫の諸作品もそこで購入した。その延長で館作品に到達したのだった。
 その書店はその後、店を切り盛りしていた若主人が急死したため、店を閉じてしまったが、今でも時々その店の夢を見ることがある。夢の中で、欲しかった本や珍本奇本、一度手放して二度と手に入らなくなってしまった本などと出会ったこともあり、眼が醒めてからくやしい思いをした。またある時は、店の二階で女主人と妖しい関係になる夢を見たこともある。だから、この作品を読むうちに、奇妙な既視感を味わった。もしかしたらわたしは、この店に行ったことがあるのではないだろうか……と。
 本作品は多くの館作品で使用されている回想形式が物語の中核になっている。
 誰にでも、人生の分岐点となった運命の一日があるに違いない。たとえ劇的な展開ではなかったとしても、その時の選択、その時の行動、その時の経験が、その後の人生に大きな影響を与え、結果的に運命を大きく変えてしまったことに気づくのは、ずっと後のことかも知れないけれど……。
 本作の主人公たちも、ある意味、悪夢のような最悪の出会いをしながら、そのことが忘れられず、自ら望んでその世界へと入っていく。だから、奇跡的に見えた再会もまた、ある種の必然であったことが読者にも納得できるはずだ。
 そうして振り返ると、なるほど、これは館版「ア・ボーイ・ミーツ・ア・ガール」ストーリーだったのだなと思い至った次第である。
 ああ、なんて素敵な出会い、そして再会なんだろう!
 もちろん本作には熱烈なジュンイチストが大好きな〃あの趣向〃も、しっかり盛り込まれているので、お楽しみに!
                          詩織

《作者より》

古書店――最近主流の『Book-Off』のような、明るくて広い店舗をもつようなところではなく、昔ながらのうらぶれた商店街の一画に、埃をかぶって色褪せた書物を棚にぎっしりと並べ、ひっそりと店をかまえているような、「古本屋」と言うのがぴったりの古書専門の書肆(しょし)。
そういう店に出会うたび一種の感慨があります。特に棚の一画に、アダルト向けの「いかがわしい」種類の本が並べられている店には。

今ではSMに限らずどんな趣味の書籍、雑誌も自由に流通し販売されていて、インターネットで検索し通販も使えば、どんなところにいても手に入る時代ですが、ぼくが若い頃はまったく違いました。
「あらゆる本が揃っている」と言われた神田古書店街でも、SMや特殊なフェティシズムを扱う本をおいてある店はごく僅かでした。どういうわけかSM専門の雑誌(『奇譚クラブ』『風俗奇譚』『風俗画報』『裏窓』……など)は新刊書店では扱われず、アダルト専門の古書店でしか売られていない、という現象もありました。
当然ながら、単なるエロ本ではない、SM趣味の書籍、雑誌を探すとなると、そういうのを専門に扱う古書店を見つけるのが第一歩でした。ぼくが大学生から社会人になりたての頃は、神田古書店街に留まらず、都内全域のあらゆる古書店を巡っては、その手の本を収集したものです。足を棒にする毎日。
やがては店の佇まいを眺めただけで「この店には、あるな!」と直感で分かるぐらいに目が利くようになりました。今となってはまったく無意味な能力。(笑)
そういう店の奥には、無愛想で偏屈そうな中年や初老の男性がむっつりと不機嫌そうな顔で番台に座っているのがふつうでした。いかがわしい店であればあるほど、店の主人の放つ雰囲気もいかがわしい。ようやく見つけだしたSM本を彼の前に差しだすのがためらわれる、怯えてしまうようなオーラを放つ主人ばかりでした。そういう本を買おうとするのは、そういう趣味の持ち主だと即バレてしまうわけですからね、ギラリとした眼光で見つめられると、もうそれだけでビビって心臓がドキドキしたものです。あの頃はぼくもウブだった。(笑)

そういう店を巡っているうち、妙な噂を(主に紙媒体のなかですが)耳にしました。
「SMエロ本を扱ってる神田の古書店で、万引きした客を捕まえては残酷な折檻をする主人がいる」
そういう噂でした。
信憑性は限りなくゼロでしたが、だんだん集まってくる情報を総合すると、「店主は中年のヤクザっぽい男。その妻らしい色っぽい熟女が主に店番をしている」「万引きした客は即、店の奥に連れてゆかれ夫婦で脅かされ、全裸にされて肉体検査をされる。その検査に不合格の場合は全裸のまま、洗濯や掃除などの雑用を強要され、それを果たすと服を返されて追い返される」「合格した男女は、さまざまな肉体的拷問を受けて彼らの性的奴隷にされ、夫婦の嗜虐欲を満たすためばかりではなく、秘密のパーティや撮影会、さらにブルーフィルムのモデルとしてこき使われる」「彼らはそうやって若くて健康な奴隷を常時何人も抱えており、かなりの利益を得ている」
――といったようなものでした。
「はて、そんな店はあっただろうか?」
おそらく、ぼくが経巡った古書店のどこかがそうだったはずですが、どうも心あたりがありません。
めぼしい店であっても、訪ねていって店主に「あなたがそうですか」と訊くわけにもゆきませんしねえ。(笑)

そのSM趣味の古書店経営者とその妻の話については、ずうっと気になっていたのですが、やがて『スレイブ通信』という雑誌に、K・Mという名前で(のちにその名は、まさに経営者その人の名だと分かるのですが)「あるブルースターの回想」という体験報告が掲載され、ぼくは「あッ」と驚きました。
K・M氏は、あの伝説の、「神保町のエロ本古書店夫婦」の「被害者」のひとりだったのです。

驚いたことに、氏は噂を聞き伝えて、あえて見つかるようにその店で「万引き」をしたのです。
もともとそういう被虐的な気質の人だったのでしょう。
彼は店の奥に作られた拷問スペースへと連れてゆかれ、全裸にされて拷問を受けました。そして彼らの求める基準をクリアしたのです。外見容姿ばかりではなく、若さ、精力、巨根、そしてマゾの気質――それらを兼ね備えていたK・M氏が、いかにこの夫婦の性的奴隷とされてゆくか、その調教の物語は、「小説より奇なり」といったものでした。
この夫婦について得た情報はこれが最も詳細なものでしたが、同時に最後のものでした。
長い時間を経て、ふと偶然に店主と再会(垣間見ただけですが)したK・M氏は、彼のことを「見る影もなくうらぶれて衰弱した様子だった」と記しています。
「よし。いつかは、この夫婦のことを書こう」と考えて構想何年か。(笑)ようやく書き上げたのが、この「生贄の制服」でした。
書き上げてから偶然に気がついたのですが、某SM雑誌に肛門調教を専門にする報告を連載されているY氏というかたが、なんと連載のなかに「自分はある古書店夫婦に見込まれて、彼らの性欲の相手をつとめてきた」という体験を記されているではありませんか。(*_*;)
Y氏は万引き犯としてではなく、この店に通ううち、妖艶な熟女である店主の妻に声をかけられ、彼らの秘密の稼業の助手あるいは共犯者のような形として参加することなりました。そして妻ばかりでなく同性の店主の性欲処理の相手もつとめながら、言語に絶する淫虐きわまりない体験を重ね、実に数年を共に過ごしたというのです。
Y氏が詳しく記した「犠牲者」の調教シーンは、それこそ身の毛のよだつようなものでした。
しかし「犠牲者」たちは誰もが完全なマゾ奴隷となり、嬉々として彼らに尽すのですねえ。これは驚異といっていい。でなければとっくに当局に検挙されたはずです。そこらへんがすごい。
不思議なことに、Y氏の告白を読まずに書き上げたぼくの物語は、妙なところでピタピタ一致しているんですね。ぼくは超能力の持ち主か。(笑)

ということで、この物語は、ある古書店を舞台として始まります。
しかし自信を持って書き上げたこの作品は、すぐ本にはなりませんでした。
ある出版社からいろいろな理由を着けて返却されてきた原稿には、採用されない理由の一つとして「今どき古本屋が舞台でもないだろう」というものでした。
膝から力が抜けました。(笑)
そうなんですねえ、もう誰も古書店なんかに目をくれる時代じゃないんでしょう。地方へ行けば古書店など絶滅してしまっているかもしれません。
もちろん、そればかりが突き返された理由ではありませんで、読めば分かりますが、主人公の特殊な性癖が「おおかたの読者の嗜好に合わない」と見なされたせいもあります。
「どんな理由だ」と思われますか。あまり声を大にして言いたくないのですが「海上郵便」系だといえば、分かるかたは分かるでしょう。(笑)

まあ、いろいろな経緯はありましたが、太田出版の編集さんは、「こりゃ面白いじゃないですか。ぼくはぜんぜん拒否反応ないですよ」と言ってくださり、このたび、新書として刊行されることになりました。
この作品がいかに時代にそぐわないアナクロな、偏向したSM作品か、どうぞ手にとってお確かめください。(笑)
うむ、開きなおっているな。(笑)

――ちなみにY氏によれば、実在した店主は、亀頭に埋めた真珠が原因で陰茎ガンとなり、ペニスを切断する羽目になったといいます。
「あるブルースターの回想」を書いたK・M氏が見たのは、ペニスを切断して男しての能力を喪失した晩年の店主の姿だったのですね。
因果応報――とは、このことでしょうか。南無阿弥陀仏。

《初出情報》

この作品は未発表・書き下ろし作品です。

《書誌情報》

本書は太田出版よりOh!ta太田新書の一冊(A0110)として文庫判型で刊行された。
デジタルテキストは発売されていない。





ISBN4-7783-0110-2
2005年12月14日=第一刷発行
発行=太田出版
定価=880円+税

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