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カバーイラスト 新井田孝
カバーデザイン 吉原夢良 


嗜虐兄妹・魔虐姉妹

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白衣から黒い絹下着に替えた時、 看護婦ゆかりは魔性の女に変わる……。

羞恥の中、ゆかりは自分の手で秘唇を割りひろげた。
開かれた粘膜は薄白い液でねっとりと潤されている。
「腰をおろせ、××を××にはめるんだ・・・・・そうだ」
ゆかりが命令に従って腰をおとしていくと、子供の手首ほどにも膨張した器官が膣奥へとめりこんで、根元まで深く結合した。
肉襞がどよめき、締めつけていく。
「ほら、なにしてる。早く動くんだ。ケツを振れ!」
黒いストッキングに包まれた脚が男をまたぎ、騎乗するゆかりは、
ヒップを上下させることで自分を犯し貫いている肉にピストン運動を開始させた。

《読者からの解説と感想》

 ステロタイプのエロ小説本を、さしたる思い入れもなく工業製品のように市場に押し出して行きたいと考える本の作り手・売り手にとっては、館淳一ほど使いにくい作家もいないだろう。例えば、官能小説のヒロインは決して「プロ」であってはならない、というのが業界の鉄則なのだそうである。ところが本作の主役は、巻頭早々に出張SM嬢としてショッキングな登場を果たす。一事が万事。この人は、自己の官能のイメージをさらにくっきりと浮き彫りにするためであれば、あらゆる角度から鑿を入れ、さらに新たな切り口をさがし、あえて原則から踏み出すことをも辞さない人に見える。だから、共鳴する快感の波長を持った読者にとっては、これほど飽かせない作者もいない。
 アオリ文句からは想像もつかないだろうが、これは重く苛烈な過去の悲劇を背負って復讐に挑む主人公・ゆかりのアドベンチャーを描くハードボイルド・ピカレスク・ロマンなのだ。華奢でたおやかなM女でありながら、特殊な闘争術を駆使してしなやかに「闘うヒロイン像」は、フランス書院文庫シリーズ中では画期的だし、限りなく魅力的だ。だが、仇は世俗的権力や財力で武装した凶悪非情の輩(勿論、その上変態である)。謎の風来坊も跳梁し、彼女の行く手を阻む(勿論、その上変態である)。危機また危機。これだけでも多分十二分に面白いのに、勿論、その上SMまたSMである。満腹。

 『〜』(MLメンバー)

《作者から》

どのように作品の構想を考え、纏めてゆくのか、と訊かれることがあります。自分も書いている、書いてみたい、という思いがあるかたでしょうね。
これは『作家養成講座〜官能小説編』という書のなかでインタビューに答えているのですが、その部分を簡潔に言えば、「書きたい中心をまず考える」ということです。「書きたい中心」というのは、作家以前の自分が真にやりたいこと見たいことです。
その「中心、核」が決まれば、それに到るように人物と事件を配してゆく。これがぼくのやりかたです。
この作品では、その「中心」は二つあります。ひとつは前段、幼い姉妹が伯父夫婦に養われることになって、彼らの欲望に巻き込まれ調教されてゆく過程です。
もうひとつは後段、SMクラブに勤めたゆかりが、客の要請によって段ボールの箱のなかに押し込められて、どこか分からない場所へ運ばれてゆくところ。実はこれが書きたかった。
どういうものか「何かに押し込められた」という状況に昂奮する体質なんですな。(笑)
その一端はフリーダウンロードのページにアップされている『快楽梱包術』にも現れています。
考えてみれば、人間を箱に詰めて送るということは、人間を完全にモノとして扱うことです。実存的サディスト/マゾヒストの快楽の根源は「人間存在のモノ化」にあるのですから、箱に詰めこまれ配達されてゆくという状況は、単なる緊縛を超えて、これはもうサディスト、マゾヒストにとってはたまらぬ設定ではないでしょうか。
西欧のSM小説では、この「モノ化」が濃く描かれるものが多いのですが、日本ではそれが少ない。せいぜいが「家畜化」どまりです。日本人のSM気質が西欧人のそれと著しく違うのはこの部分であり、人によっては「日本人のSMはしょせん疑似SM=単なる支配と服従のゲームとしてのBDプレイでしかない」と思われるかもしれません。
ヒロインのゆかりが、どのように「モノ」とされ、箱詰めされて送られてゆくか、そのあたりを本人になりかわり(笑)じっくり書いてみました。

《書誌情報》

本書はフランス書院よりフランス書院文庫シリーズ(通算ナンバー0740)として文庫判型で刊行された。
デジタルテキストはフランス書院ダウンロードサイトから購読できる。




ISBN4-8296-0740-8
1997年3月10日=第一刷発行
発行=フランス書院
定価=500円(税込み)


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