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カバーイラスト 新井田孝
カバーデザイン 吉原夢良 


姪と叔父

奴隷日記

43

すっかり大人へと成熟した千穂。
二十歳の体から白いスキャンティを剥き、
なめらかな太腿を割って秘唇をめくる。
濡れ光り甘香が漂う花蜜を舌で舐めあげた時、
姪と叔父の、背徳のマゾ奴隷調教がはじまった。

《読者からの解説と感想》

 ふとした事件被害から自分のなかのM性に目覚めていく、ごくふつうのOL千穂。
「スキャンティ」ということば、そして携帯はもちろん、メールもパソコン通信さえも登場しないこの作品に、書かれた時代がうかがわれます。だけどけっして古さはなくて、それが不思議なノスタルジーを感じさせ、いまは落ち着いた味わいを増してさえいるような。。
 可憐で淫らな娘たちの姿態が舞う「スタジオ幻夢」を舞台に、オフィスでの謎の脅迫犯を追いつめ突きとめていく展開が絡まって、ぐいぐい引き込んでいく手腕は、さすがに館淳一。
 爽やかな読後感と共に、ラベンダーの香り漂う一冊です。
『奴隷日記』にXXX(チュッ)!

 comomo(MLメンバー)

《作者から》

 この作品は、『日刊ゲンダイ』紙1990年12月8日から29日まで、19回にわたって連載されたショートエロチカ『OL社内調教』が核になってふくらんだ長編小説です。
 冒頭、主人公が酒場で耳にする話(あるホステス志願女性が、間違って風俗店の面接を受けてしまう)というのは、作者が実際に聞かされた話です。あまりにも面白かったので、書き出し部分しに使ってみました。 小説の書き出しは難しいといいますが、あまり構えないで、世間話しながら引き込む、というのが書くほうも楽なようです。(笑)

 この作品にはヒロインの日記を叔父が読み、彼女の秘密を理解するくだりがあります。
 その部分、ある種の実験なのですね。  実を言うと、官能ポルノ小説では「一人称」描写は蛇蝎のごとく忌み嫌われるのです。禁じ手と言っていいでしょう。
 一世を風靡した宇能鴻一郎の「私、〜なんです」というのがあるじゃないか、と言われそうですが、実はあれが悪かった。(^_^;) 
 以後の「一人称」ポルノは、みな宇能鴻一郎の真似、亜流、エピゴーネンという連想が働くようになってしまいました。まあ、安易に真似たバカ作家も多かったのは確かです。
 なぜ真似られたかというと、この一人称スタイルは実に書きやすいのです。(宇能鴻一郎の名誉のために書き添えれば、本家元祖の宇能作品は、他の追随を許さない独特の味を醸し出すことに成功しています)
 もちろん宇能鴻一郎のせいばかりではなく、ポルノというものは一人称だと成立しにくい要因があるのでしょう。つまり語り手の主観による説明だけでは「見えない」部分ができて、不満が生じてしまうのです。それの回避の仕方はあるのですが、難しいといえば難しい。編集者としては、とかく書き手の「ひとりよがり」に陥りがちな一人称スタイルは歓迎できないのです。
 それでもなお、一人称での記述は、たとえばごくふつうの人が体験を告白するというような文章にぼくは惹かれるのです。
 商業誌に掲載される体験告白ものは、たいていは、プロまたはセミプロの作家が文章修業も兼ねてフィクションとして書いている場合が多いのですが、ぼくが惹かれるのは、そういうものではなく、もっと無技巧的な、ネットでさらけ出されているような素朴な文章です。そういう「原石」的な一人称告白には言葉や技術で飾られていないぶん、真実味が感じられ、強い引き込み効果があります。
 ですから「使ってはいけない」という一人称をあえて使うために手紙、日記、投稿文などを複合的重層的に用いるスタイルが徐々に増えてゆくのですが、その技法を本気で使い始めたのがこの作品あたりからです。こういう技法は一人称フェチであるぼくの、苦肉の策でもあるのですが、皆さんはどう考えられるでしょうか。

新聞に連載された紙面。さし絵は当初、浜田和氏、途中で西村春海氏に。

《書誌情報》

本書はフランス書院よりフランス書院文庫シリーズ(通算ナンバー0358)として文庫判型で刊行された。
2005年10月、幻冬舎アウトロー文庫より『つたない舌』(リストNo.133)と改題されて復刻された。




ISBN4-8296-0358-5
1991年3月10日=第一刷発行
発行=フランス書院
定価=450円(税込み)
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