闘う牝猫

           館 淳一

illustration:(c)レオ澤鬼







 1

 弟の辰雄が、その話をもちだしてきたのだ。
「姉貴、困ってるんなら、ちょっとした仕事を紹介するぜ。金になるバイトなんだ」
 いつもこの調子で、おっちょこちょいの気味がある姉はノセられてきた。だから友恵も 少し用心深い口調になる。
「お金になるって……、どれぐらい?」
「ひと晩、最低三万円」
「へぇ」
わざと素っ気ない口調で答えた。内心、
(えっ!?)
驚いてはいるのだが。
「ま、それは最低で、がんばれば十万ぐらいいくと思う。ひと晩でだよ」
「十万円!?」
 友恵は今度こそ目を丸くしてしまった。
「何なのよ、それ? ヤバいことでしょ。ホテトルか何か?」
最初は「AVギャル?」と訊こうと思ったのだが、それは止めた。自分でもアダルト・ ビデオの女優がつとまるとは思っていない。
顔はまあまあ可愛いほうだと思うけど、ボディが問題だ。高校時代、水泳部にいたせい で手も足も太くてたくましく、肉づきがよい。よくいえばグラマーだが、太めなのだ。こ ういう肉体がAVギャルに向いていると、辰雄が考えるわけがない。
 辰雄は顔をしかめた。
「いやだな、姉貴……。おれがそんなポン引きみたいな真似、すると思う?」
「ふつうなら思わないけど、辰雄ならやりかねないもの」
「そりゃないだろ? こう見えてもおれは姉貴思いの弟なんだぜ」
  辰雄は黒服だ。顔はいまの女の子好みのしょうゆ顔。背が高くてキュッと引き締まっ た臀をもち、機転がきいて如才がない。
 姉弟が幼い頃、縁日の易者があまりにも暇だったのか、通りがかった辰雄を呼びとめ、 ただで人相と手相を観てくれたことがある。彼はこう告げた。
「この子は口八丁手八丁。商人にしたら大成するぞ。ただし行ないを正しくすることだ。
でないと末は詐欺師。監獄の中で朽ち果てるかもしれん」
辰雄はまだ小学校に入学する前で、そんな記憶は残っていないらしいが、一緒にいた 友恵は何となくそのことが頭の片隅にこびりついている。
 易者の言葉どおりだった。辰雄は千葉の高校時代、暴力団の組員から仕入れたエロ写真 を十倍の高値で級友たちに売りまくり、けっこうな金を儲けたのだが、それがバレて退学 させられた。
 その時“余罪”も明るみに出た。姉の友恵のパンティをこっそり持ち出し、級友に「女 の匂いつき」だと言って高値で売りつけていたらしい。そのことを友恵はまったく気がつ かなかった。弟は新品を代わりに置いてたので、テッキリ母親が古いのを処分してくれて いるのだと思ってたのだ。友恵は弟の抜け目なさに感心して、怒るのを忘れてしまったぐ らいだ。
 彼は退学になった後、母親には「板前の修業をやる」と言って上京、六本木の小さなデ ィスコで黒服をやりはじめた。人に巧みにとりいる才があったからしだいに有名な店へと 引き抜かれ、今ではディスコと同じ系列の、ハイブロウなミニ・クラブのフロア・マネー ジャーにとりたてられている。二十二歳という年齢を考えれば立派というしかない。しば らくぶりに会うと、自分より一歳年下という気がしない。
「親が水商売だと、子供もやっぱり水商売が向いてると思うのかねぇ」
 辰雄が黒服をやり始めた時、母親は溜め息をついた。彼女は男に騙されやすい性格で、 最初に騙された男との間に出来たのが友恵、次に騙された男との間に出来たのが辰雄。つ まり友恵と辰雄は父親が違う。
 母の志摩子は結局、ホステスをやって働きながら姉弟を育てた。友恵の人がよくておっ ちょこちょいなところは、母親譲りらしい。
「おまえだけは、まじめに勤めなさいよ」
 母は、今でこそ小料理屋をやっているが、かつてホステスだったことで娘に肩身の狭い 思いをさせてきた――と思っていたようで、つね日頃、そう言っていた。友恵はホステス という職業がそれほど肩身が狭いとは思っていなかったが、商業高校を出ると、東京に本 社のある大手不動産会社の千葉支店に就職して当たり前のOLになった。

 2

友恵が借金で苦しむようになったのは、クレジットカードのせいだ。
「友恵、まだ持ってないの? ウッソー!」
 就職してすぐ、OL仲間に信販店の会員カードしか持っていなかったのを笑われて、あ わてて大手銀行のカード会員になった。審査らしい審査もなく、購買限度額二十万円のカ ードを簡単に手に入れることができた。とはいえ、最初はカードを持っていても、あまり 使う機会がなく、その価値も実感できなかったのだが。
 OL4年目になって急に環境が変わった。
その年の暮れ、ボーナスが出た後に本社の女子社員が予想外に多く辞めてしまった。あ わてた本社から首都圏の各支店に、女子社員を出向させるよう指令が来た。千葉支店から は友恵ともう一人の同僚が選ばれた。
 名目は本社での営業研修。期間は一年。都内のショールーム、モデルルームなどに配属 される。千葉の家から通勤できないこともなかったが、友恵は本社が用意してくれた寮に 入ることにした。やはり東京で生活してみたかったからだ。
 寮は洗足池の近く。ワンルームマンションひと棟全部を借り上げた女子社員寮だ。彼女 の部屋は四畳半ぐらいの広さだが、初めて親と離れたという解放感は大きかった。
 仕事の内容はそれまで千葉とやっていたことと変わらなかったが、ショールームは新都 心のモダンなオフィス街の真ん中にあり、働くOLたちの数は比べものにならない。
 そうすると、どうしても同僚たちのファッションが気になる。自分の服装がダサク見え て仕方がない。
(うーん、服も買いたいしバッグも靴も欲しい。アクセサリーも……)
 そう思って、ある日、新宿の地下街のブティックでスーツを見ていたら、店員が言葉巧 みにすすめてきた。
「これ、あなたにぴったりよ」
 値札を見ると八万円。
「いま、お金がないから……」
 ためらっていると、
「カードあるんでしょ? だったら分割払いで買えるわよ。十か月払いなら月々八千円」
(なるほど、それなら……)
 そこで生まれて始めてクレジット・カードで高い買い物をした。
 ついでに有名ブランドのブラウス、バッグそれにハイヒールを買った。しめて十八万円 だったが、月々一万八千円の支払いなら何とかなる。
(カードって便利なんだ!)
 友恵は嬉しくなった。
 これまで自分には無縁だと思っていた買い物が出来ると知ったとたん、それまで眠って いた物欲がふつふつと湧き出してきた。
 それからは雑誌でファッション情報を仕入れ、ブティック回りをするという習慣がつい てしまった。最初のカードの購買限度額はすぐいっぱいになったので別のカードを作った。 それが限度になるとまた別のカードを作る……。
 気がついた時は、カードの引き落としで給料のほとんどが飛んでしまい、昼食代にも困 るようになった。そんな時に限って同僚たちから遊びの誘いがかかる。
「ちょっと今月はフトコロが寂しいのよ」
「バカねぇ。カードでキャッシングすればいいんじゃん」
 教えられて初めて、カードで現金を借りられるのを知った。貸出機にカードを入れ、試 しに十万円とキーを打ち込んでみた。すぐに手の切れるような一万円が十枚、出てきた。 (こんな便利な使いかたもあったのね!)
 そのカードの融資限度額は五十万円で、だとしたらあと四十万円借りられると思うと、 たちまち気が大きくなった。
 最初のうちは、それでも残高を気にして、月々いくら、ボーナスでいくらなどと計算し ていたのだが、やがて気が緩んだ。
 夏のボーナス直前には、どのカードも限度額いっぱいまで借り切ってしまって、さすが に困ったのだが、
(ボーナスで一気に返済すればいいわ)
 そう思ってサラ金から借りた金をカードの返済金の方に回して一時しのぎすることにし た。
 オフィス街にはサラ金がいっぱい店を開いている。店がまえも女性社員の制服もまるで 銀行みたいで、入ることにあまり抵抗はなかった。
 カウンターで「旅行に行くから」と言って申し込むと、美人の係員が簡単に二十万円を 貸してくれた。
 それでボーナスが予想どおりに出れば問題はなかったのだが、会社の業績が悪かったせ いで、予想の半額しか出なかった。
(これじゃ、サラ金の方が返せない!)
 予定が狂った友恵はあわてふためき、別のサラ金から金を借り、それを前のサラ金の返 済にあてた。だとすると、今度のカード返済日には別のサラ金から借りないといけない。  ようやく、とんでもないことになっていると気がついた。これまでの借金を全部リスト アップしてみたら、月賦で買ったもの返済金残高が百万円ちかく、さらにキャッシング・ サービスから百五十万、サラ金から五十万円、しめて三百万円という数字になった。特に サラ金は返済が滞ると利息がどんどん増えてゆく。
 友恵は気が遠くなってしまった。
(これじゃ給料を全部、返済にまわしても追いつかないじゃないの……!)
 乗り切る手段はバイトをして別途収入を得るしかなかった。ファミリーレストランのよ うな安い時給では間に合わない。いろいろ探して渋谷のホテルのバーでコンパニオンの仕 事を見つけた。時給二千円で夜七時から十一時まで。希望すれば土日も出られる。
(これで一年ぐらい辛抱すれば、なんとか借金の方はカタがつく……)
 見通しがたってホッとした。
 コンパニオンの仕事は、お客の注文を受けて運ぶだけ。シティホテルの中のバーだから 客席に座ってお客の接待をする必要はない。
 太腿の付け根まで切れこみの入ったチャイナドレスが制服で、あまり脚線に自信がない ので恥ずかしかったが、やっていることはウェイトレスのようなものだ。
(ホステスとは違う。水商売じゃないわ)
  自分に言い訳した。それでも何となく親不幸してるような気になる。もちろん母親には 内緒だ。それまでは週末ごとに千葉の家に帰っていたのが出来なくなったので、「会社の 特別研修があるから」とウソをついてとおした。そもそも母親は友恵が東京の寮から通う のに反対だった。「絶対、自分ひとりでちゃんとやれるから」と説得して上京した手前、 借金のことを言えるものではない。だから、母に知られるのを恐れてギリギリまで弟の援 助も頼む気にはなれなかった。
 
 辰雄は黒服をやってきたのだから顔も相当広いはずだ。頼めばアルバイト先ぐらい探し てくれるだろう。上京するとき「何か困ったことがあったら相談しなよ。面倒みてやるか らさ」と先輩面した弟に言われていたのだが、それまで姉貴ぶって叱っていた手前、自分 のだらしなさをさらけ出すのがイヤで、一度も連絡したことがなかった。
 彼がいま勤めている麻布十番のクラブは、もともとOLふぜいが入れるような店ではな い。場所は知っているが、行ったこともなかった。
 再び、カードやサラ金の借金が膨らみ、首が回らなくなってしまった時、友恵はとうと う辰雄に援助を申し入れた。バイト収入があるということで気が大きくなったせいで、ま た身の回りのものに金をかけるようになったからだ。一年ぐらいで借金を帳消しにしよう という計画は元の木阿彌になってしまったわけだ。
 こうなると、頼るのは弟しかいない。

 3

「ちょっと困ってるのよ。すぐ返すから、いくらか貸してくれないかしら?」
 電話してみると、辰雄は平然として、
「いいよ。いくら? 百万ぐらい?」
 辰雄は、姉が何も言わない先から百万という額を口にした。とりあえず次の返済日に必 要な二十万か三十万円を借りられたらと思っていた友恵は、その気前のよさに驚いた。
(へぇ、案外、金持なんだ……)
 どうせまともに稼いだ金ではないだろうが、今はそんなことを言ってられる場合ではな い。
 辰雄とは日曜の昼、麻布十番の喫茶店で会った。彼は仙台坂近くのマンションを借りて 住んでいるという。ふつうなら二十二歳の若者が住める場所ではない。
 ちょっと会わない間に辰雄はまた貫祿がつき、どこから見ても三十ぐらいの雰囲気を漂 わせていた。
 金回りがいいのはすぐ分かった。新品のベルサーチのシャツを着こなしていたからだ。 それだけでも二十万ぐらいする。そのうえ、ローレックスの腕時計に、ライターはダン ヒルときた。
「景気が悪いから水商売は大変らしいけど。辰雄のとこは、どう?」
 それとなく訊いてみる。
「店は苦しいよ。だけど、おれはいろいろ他から収入があるからね」
 そう言ってニヤリと笑ってみせた。
「姉貴、なんで金に困ってるんだ? どうせカードかサラ金だろ」
  図星をつかれた。嘘をついても仕方がない。正直に頷いた。
「そのとおりよ。ちょっとカードで借りすぎちゃって」
「姉貴は金の重みを知らんからなあ。ま、こんな女に金をホイホイ貸す金融機関が悪いん だけど。……で、どのくらい溜まってんだよ? 払いきれないんなら、いっそのこと、自 己破産しちゃったほうがいいぜ。何なら弁護士、紹介しようか?」
 あわてて首を横に振った。そんなことになったら母親に知られずにはおかない。
「まだ、それほど困ってるわけじゃないわ」
「本当かな? 相談にのってやるから、正直に言ってみなよ」
 結局、辰雄に問われるまま、苦境を洗いざらい喋らされてしまった。
「実は三百五十万なの」
「なんだ、それぐらいか」
「そうは言うけど、私にとっちゃ大金よ」
「そりゃ、そうだな……」
 そこで少し考えこんでから、向こうから持ち出してきたのだ。その話を。
「姉貴、困ってるんなら、ちょっとした仕事を紹介するぜ……」

 4

「最低でも三万円。がんばれば五万円以上。ただし、週に二回だけど」
 辰雄は、そうつけ加えた。
 友恵は素早く胸算用してみた。ひと晩五万円で週に二回なら月に四十万だ。
(それぐらい入ったら、ずいぶん助かる)
 しかし、辰雄は身内でも金になるなら平気で売りとばすようなタイプだと思っているか ら、友恵も用心せざるをえない。
「言っておくけど、セックスのサービスなんかイヤよ」
「違う違う。姉貴に体を売れなんて言わないよ。ま、一種のエンターティナー、いや、ス ポーツ選手みたいなもんだ」
 予期せぬ言葉が出てきたので呆気にとられた。
「スポーツ選手ぅ? 私が何かやるわけ?」
「スポーツといっても、ちょっと特別でね、お色気も少し必要なんだけど」
「やっぱりね」
 ひと晩に五万円も儲かる仕事が、セックスやお色気に関係ないなんてあるわけがない。
「といっても、必要なのはお色気より体力なんだ。早い話が女子プロレス。あれみたいな もんだと思ってくれればいい」
 友恵は目を丸くした。
「エーッ!? 女のプロレス? だって私、プロレスなんて見たこともないのよ」
「いやいや、そんなもの知らなくてもいいの。ただ、取っ組み合うだけなの」
「取っ組みあって、どうするの」
「お互いに相手の着ているものを剥ぎとってゆくのさ。先に真っ裸にされた方が負け」
「えーっ、ひどい。呆れた……」
 友恵は絶句してしまった。
「要するに、若い娘がケンカしながら相手を裸にしてゆく格闘技ゲームなんだ。キャット ・ファイティングって言ってね、アメリカじゃけっこう流行ってるんだって」
「ビアホールで見たことがあるけど、泥だらけでやるレスリングみたいなものね」
「そうそう。あれよりはもっと真剣だけど。そういうゲームに出てくれる女の子を探して くれって頼まれてるんだ。姉貴を見てて、こりゃ適任かなと思ってね」
「体力だけは、まあ、あるけど……。自信ないなぁ、そんなの」
 男たちに囲まれて真っ裸にするかされるか争うというのだ。友恵は今のコンパニオンの チャイナドレスでも、最初は恥ずかしかった。ふつうなら断るところだ。しかし、両肩に 重く借金がのしかかっている。何かしなければ、いずれ膨れあがってゆく借金に押し潰さ れてしまう。個人破産を宣告してもらっても、裁判費用とか弁護士に払う金がまたバカに ならないのだ。
 姉の逡巡をみてとった辰雄は、報酬のことを詳しく説明しはじめた。
「ひと晩に選手が四人出て、総あたりのリーグ戦をやるわけ。だから一人三回戦うことに なる。全部負けても三万円は保証ね。もちろん勝てば別に賞金が出る。その時その時で違 うけど、一回勝てば五万か六万かな。姉貴なら一回は勝てるだろうから、八万はかたい。 二勝一敗なら十五万、三戦全勝なら二十万ぐらいになると思う」
「二十万も……?」
 これは効いた。水泳部で鍛えられたから体力には自信がある。肺活量と持久力は部員の 中でも一、二を争った。
「そう。だから金が欲しければ真剣に闘う。真剣にやれば金が手に入る」
「ということは……観てる人たちは賭けてるのね?」
 でないと、そんな賞金がどこから出るというのか。辰雄は頷いた。
「そうだよ。観客がそれぞれひいきの選手に賭けるのさ。賭け金総額の五パーセントが選 手へゆくの」
 友恵は暗算してみた。
「そうすると……賭け金の総額は、一千万円ぐらいになるじゃない?」
 かなり大がかりな賭博ゲームということになる。
「そういうこと。まあ、それより多い時もあるし、少ない時もある」
「どんな人たちが来て、賭けるの?」
「でかい声じゃ言えないけどさ、I――屋って知ってるか?」
「知ってる。高級アパレルの店」
「あそこのオーナーだとか、そういう関係だな。たいてい社長クラス。あと芸能人とかス ポーツ選手。医者も多いんな」
「それって違法なんでしょ?」
「そりゃ、大っぴらにやればダメさ。これは仲間うちだけだし、ヤクザも噛んでないから バレてもたいしたことない」
「でも、捕まると大変でしょ? この前も、ホラ、ポーカー賭博で捕まったのがいた」
「まあ、パクられたらお灸を据えられるかもしれないけど、選手のほうは自分たちが賭博 してるわけじゃないから大丈夫さ」
「しかし、何か不純ねぇ……」
 辰雄はニッコリ笑ってみせた。この無邪気な笑顔が昔からクセモノなのだが。
「そんなこと言えば、拳闘から相撲、レスリングまで、みんな不純だよ。女だって、褌一 枚の相撲取りにキャーキャー言ってるじゃないか。たいして違わない」
 いつもの癖で、最後は何が何だか分からないまままるめこまれ、とにかくその“キャッ ト・ファイティング”なるものを仕切ってる主宰者に会うことを承諾させられた。
(次の支払い日にはまた二十万円払わなきゃいけないんだもの。お金は欲しいんだよね。 ま、話を聞いてイヤなら断ればいいんだし……)
 友恵は自分に言い聞かせて、弟に教えられたマンションを訪ねた。

 5

 その部屋は赤坂のTBS裏の方、わりとゴチャゴチャした一画にたつ古いマンションの 六階にあった。
「ああ、辰雄クンの紹介してくれた人ね」
 出てきたのは四十か五十か、ちょっと判定の出来ない中年の女性だった。上半分が濃い サングラスをかけて、上はザックリしたTシャツ、下はパンツ。全体の雰囲気は芸能人の マネージャー、あるいはブティックか何かのオーナーという感じ。そういえば友恵の行く ヘアーサロンの経営者もこんな感じだった。
「お名前は? 姓のほうはいいけど」
「友恵です」
 辰雄は、自分の姉だとこの女には告げていない。それは友恵が頼んだことだ。
「あ、そう。これが私の名刺。でも、マネージャーって呼んで」
 渡された名刺には、「人材スカウト、派遣、マネージメント一切」とあり、“セブンシ ーズ企画代表取締役 七海奈津子”と記されていた。
 ここは個人のオフィスらしく彼女の他には誰もいない。事務室兼応接間といった部屋に 案内すると、奈津子は友恵を立たせたまま、じろじろと眺め回した。調教師に検査される 競争馬になった気がした。
「ふーん、わりと向いてる体してるわ。身長と体重は?」
「百六十四センチ、五十九キロです」
「何かスポーツやってた?」
「高校の時は水泳部でした」
「なるほどね。じゃ、出てみる? やる気があるならだけど。遊び半分じゃ困るの。ある 程度、覚悟してもらわないと」
「はい。やります」
「そう。じゃ、キャット・ファイティングについて説明するわね」
――キャット・ファィトとは女同士のケンカのことだ。牝猫がキーキー歯を剥き出して引 っ掻いたり噛みついたりするのに似ているからだろう。欧米にはこういう女性同士の闘い を見て喜ぶ――たぶん性的に興奮もするのだろうが――男たちが多く、女闘ショーが広く 行なわれている。そういう場で戦う女闘士たちをキャット・ファイターという。
 奈津子はもともと、ホステスなどの引抜き、モデルのスカウトなど、専門的な職業のマ ネージメント、人材派遣などの業務が本職なのだが、たまたま知り合いの富豪――アパレ ル産業の大立者――が個人的な仲間を集めて開いている賭博場に遊びに行っていて、キャ ット・ファィティングの選手集めを頼まれたのだ。そのために知り合いの辰雄にも声をか け、選手になれそうな女の子を探している。
「その人の賭博場では、ふつうはバカラとかポーカーをやって楽しんでいるんだけど、あ る晩、客の連れ同士の女がモメたの。どっちもカッとなるタイプで、最初は口だけだった のがエキサイトして取っ組みあいのケンカになって、床の上をゴロゴロ転げ回るのよ。ス カートはまくれてパンティは丸見えになるし、そりゃ見ものだったらしいわ。男たちは初 めのうち呆然として見ていたらしいんだけど、そのうち誰かが『どっちが勝つか賭けよう』 と言い出して、皆が双方の女に金を賭けて、彼女たちを余計、けしかけたのよ。
 最後に一人がギブアップした時は、服はボロボロズタズタ。おっぱいは丸出しという恰 好でね、そんなひどい姿を見て、男たちは大喜びしたみたい。ま、ひどい話ではあるけど ……。それがヒントになって、キャット・ファイトをずっとやるようになったの。日どり は水曜と土曜の二回。ルールは聞いてるわよね? 時間は無制限で相手を裸にした方が勝 ち。途中のギブアップは認めない。ケガをしないように顔を殴るのと噛みつくのは禁止。 組みあっていない時の蹴りもダメ。後は何をやってもいいわ。髪はひっぱってもいいし」
「引っ掻いてもいいんですか?」
 心配になった。傷がつくと昼の仕事に困る。 「あ、それはね、これをはめるの」
 ロッカーを開けて、バスガイドがはめているような白い手袋をとりだしてきた。ついで に黒いワンピースの水着も。
「隣の部屋で、これを着てみて」
 その部屋はカーペット敷きの八畳ぐらいの洋間で、家具は何もなくガランとしていた。 友恵は服を脱ぎ、水着に着替えた。背中の開きの部分にゴム紐をわたしてある。女子プ ロレスのユニホームと同じように格闘しても脱げないようになっている。
「いい?」
 年上の女が入ってきた。サングラスは外して髪にヘアバンドをかけている。化粧をして いないが額を出すとずっと若々しく美人に見えた。
 彼女はすばやく友恵の目の前でTシャツとパンツを脱いだ。下はオレンジ色のレオター ド。女豹のように筋肉のついた四肢。彼女の年齢にしては抜群にスタイルがいい。ダンサ ーか何かだったのかもしれない。自分も白い手袋をはめた。その手で友恵の剥き出しの肩 や腕の筋肉に触れてみる。揉む。友恵は、今度は自分が俎の上で料理人に検分される肉塊 になったような気がした。
 奈津子は満足した顔になった。
「ふむ。皮膚は丈夫みたいね。あんまり痣になったりしない体質でしょ?」
「そうです」
「よかった。では、少しやり方を教えてあげるわね。実戦ではブラとパンティの上に柔道 着の上衣だけを着るんだけど」
 相手の抵抗を排除して着ているものを脱がせるのだから、それなりのテクニックが必要 だと、奈津子はそのやりかたを説明してくれた。
「まず相手をマットに倒すこと、次に後ろから押さえこむこと。だから決して敵に背を向 けちゃダメ。さあ」
 かかってこいというゼスチュアをしたので  友恵は奈津子のふところに飛びついていった。そのとたん、脚を払われてドンと転がさ れてしまった。上から押さえこんでくるのを避けようとして回転すると、俯せになったと ころを上からがっしりと羽交い締めにされてしまった。
「ほら、背を向けたらダメだと言ったでしょう」
 やすやすと押さえこまれて手も足も出ない。奈津子の体からは麝香のような匂いがする。
「さ、もう一度」
 組みあっているうちに友恵もだんだんやる気が出てきて、真剣になってきた。三度ほど 組みあっているうち、コツがのみこめた。
「うん、なかなかスジがいい。後は実戦で技を磨くのね」
 二人とも汗をかいていて、狭い部屋の中に熟女と若い娘の体臭が充満していた。
「マネージャーは、こういうこと、やってらしたんですか?」
 友恵が聞くと、奈津子は照れたような笑みを浮かべた。
「違うの。私が人集めとレフェリーを任されたものだから、仕方なく元女子プロレスの選 手だった人に会って、格闘技のことを習ったのよ。まあ、昔はステージで踊ってたから、 体動かすのは自信あるけど」
 やっぱりダンサーだったのだ。
 奈津子は彼女の芸名を決めてくれた。
「みんな、アニーとかマリーとか、そういう外国人の女の子の名前と、会社や出生地を組 み合わせてるわね。アニーさくら、ミリアム松本とか」
 友恵は“ジュディ千葉”ということになった。
 彼女のデビュー戦は二日後、土曜の夜と決まった。
「九時からだけど、七時半までにここに来て。私の車で会場へ行くから。そうそう、夕飯 は食べないほうがいいわ。けっこうきつい運動だから、食べ物が胃にあると吐くよ」

 6

 土曜まで、友恵は腕立て伏せをしたり、軽いランニングをしたりして、意図的に体を格 闘技に慣れさせるように勤めた。
 前日、ヘアーサロンに行き、髪を短かく切った。長いと敵に掴まれやすく、不利になる からだ。
 当日、七時半に奈津子の事務所に行くと、他の三人のキャット・ファイターはすでに集 まっていた。みな二十歳前後の娘たちだ。奈津子が簡単に名前だけを紹介した。
(これは手強そうだ)
 そう思ったのが“アンリ町田”という子だった。身長は友恵よりもあり、奈津子に似て ダンサーのような筋肉質の四肢。顔は精悍でいかにも闘志に溢れている。
“グレース石川”という子は典型的な肥満体質で、背丈は小さくコロコロと丸い。顔はふ てぶてしい。
“カレン百合”が一番、キャット・ファイターらしくなかった。
 背丈は友恵と同じぐらいだが、全体に華奢で筋肉もついていない。顔はあどけなくて、 眉が少し下がり気味なので、ただでさえ泣きべそをかいているように見える。
(この子なら、まず負けないわね)
 だとすると八、九万円はかたい。
 お互いに対戦相手を値踏みしているのだろうか、四人の娘たちは押し黙ったままだ。や がて奈津子が白いBMWに彼女たちを乗せた。
 連れてゆかれたのは、麻布の高級住宅街。
四囲を高い塀に囲まれた邸宅だった。門を入ったところの駐車スペースにはベンツやジ ャガーなどの高級車が五、六台駐まっていた。
友恵は門の表札を確かめたが、“迎賓館”という文字しか読みとれなかった。後はアルフ ァベットで、意味が分からない。
 奈津子は娘たちを横手の入口から邸内に導いた。
 階段を降りてゆく。地下に十メートル四方はある広い部屋が設けられていた。壁際に玉 突き台などが押しつけられているところを見ると娯楽室として設計されたのだろうが、キ ャット・ファイトの会場としてはうってつけだった。
 天井は高く、部屋の両側に階段がある。そこに立てば絶好の観覧席で、実際、二つの階 段の手すりにもたれて十人ほどの男女が酒を呑んだり談笑したりしていた。
 階段から見下ろされる真ん中のフロア、四メートル四方の広さに、そこだけ青いビニー ルの養生シートが敷かれていた。それがキャット・ファイトのリングだった。
 客は、身なりはまちまちだが、みな、上等な服を纏って、いかにも金を持った遊び人と いった感じだ。男は四十、五十代、女は三十代前後が多い。入ってきたキャット・ファイ ターたちを見下ろす態度には、まるで彼女たちを人間として見てる様子がない。
 奈津子は娘たちにファイト用のユニフォームを渡し、女子用トイレで着替えるように命 じた。
 ゴワゴワと厚い刺子の、柔道着の上衣と帯、それにスポーツ用の背で吊り紐をクロスさ せたブラ、そしてTバックのスキャンティショーツ。下着はどちらも薄めのコットンで、 レオタードや体操着の下に着けるやつだ。足は素足だ。
 奈津子も着替えてきた。黒い、スパンコールをちりばめたレオタードに黒い網タイツ、 ハイヒール。今日はステージ用の映える化粧だ。その姿は肉感的で男の欲望をそそる。
 娘たちはまず、一列になって青いシートの上をぐるぐる歩かされた。素足の感触ではビ ニールシートの下には畳が敷かれているらしい。整列させた娘たちを奈津子がリング・ア ナウンサーよろしく紹介した。
「赤帯はアンリ町田。ファイト歴三回。対戦成績八勝一敗。身長百七十センチ、体重六十 キロ!」
「黒帯はグレース石川。ファイト歴二回。対戦成績三勝三敗。百五十五センチ、五十五キ ロ!」
「茶帯はカレン百合。ファイト歴五回。対戦成績九勝二十一敗。百五十二センチ、四十三 キロ!」
 そして友恵の番だ。
 「ジュディ千葉。今夜がデビュー戦です。百六十四センチ、五十九キロ!」  男たちは連れの女と相談したりしながら、誰に賭けるかを検討しているらしい。やがて 黒いタキシードの男が観客たちの間を通り抜けた。白い紙が彼に手渡される。どのような賭けの形式なのか、友恵には見当もつかなかった。
 いよいよキャット・ファイトが始まった。
 広間の照明が消され、別に取りつけられた舞台用のスポットライトが二灯、リングだけ を照らす。娘たちはそれぞれのコーナーで立ったまま待機だ。
 最初に呼ばれたのがアンリ町田とグレース石川。
 「ファイト!」
 レフェリー役の奈津子の声で二人は二メートルほどの間隔を置いて睨みあった。
 初めて実際のキャット・ファイトを観る友恵は、目を凝らして二人の動きを観察した。
 アンリの動きは機敏だ。しかしグレースも鈍重そうに見えて、そうではない。いきなり 足を払いにきたグレースをかわし、逆に胴をつかみ後ろへと引き倒す。
「このやろー!」
「なんだバカ、チキショー!」
 二人の娘は口汚く罵りあいながら揉み合う。観客たちは笑う。
「股倉を蹴飛ばせ」
「おっぱいを潰してやれ」
 野卑な声援が飛ぶ。
 アンリとグレースは組み合ったままゴロゴロとシートの上を転がり、時には離れて睨みあい、またぶつかり合った。
 どうもグレースは柔道をやっていたらしい。一度、きれいに巴投げを決めて観客を唸らせた。しかしスタミナはグレースの方が上のようだ。次第に息切れしてきた彼女を、アンリはジワジワと攻めてゆく。
 帯がとられ、上着が脱がされ、二人ともブラとパンティだけになった。アンリは白、グレースは黒。
 最初にブラを引き千切られたのはグレースだった。白い乳房がぶるぶるんと揺れて、肥満体にもかかわらず汗に濡れた肌はひどく猥褻に見えた。
 優位にたったアンリは舌なめずりするようにして攻め方を考えていたが、一気に決着をつけようとジャンプした。その瞬間を読んでいたグレースは一瞬早く、彼女の膝にタックルをかけた。ドウと倒れ るグレース。転がって逃げようとした。背後から組みついたアンリの手が白いブラをひきちぎる。碗型の乳房が露わになる。観客はドッと湧いた。
 小さな三角形の布きれだけになった娘二人は、また離れて睨みあった。汗でキラキラ光る小麦色の肌がアンリ、ミルクのように白いのがグレース。ぶつかったところがところどころ赤み を帯びている。動くたびにグレースの乳房と臀部の肉がぶるんぶるん震える。 「いいぞ、グレース。やってしまえ」
 観客の間から、そんなかけ声がかかる。それに応えるかのように両手を高くあげてグレースが突進した。アンリは這うように体を低めて肉塊を受けとめた。
 また組み合ったままゴロゴロ転げ回る。二人の手が互いのスキャンティを何とか掴もうとする。薄いが、引きちぎるのは無理なようだ。何とか足から引き抜かねばならない。
 とうとうグレースの方が力つきた。馬乗りになって押しつぶす体勢になったアンリが、暴れもがく白い肉体から黒いスキャンティをはぎとった。
「ストップ。アンリ町田の勝ち!」
 奈津子が叫び、勝負はきまった。
 全裸にされ、前を隠したグレースが悔しそうな顔をして立ちあがる。指の間から艶のある秘毛が透けて見えた。
 両手を挙げ、意気ようようと観衆の拍手に応えるアンリ。二人はコーナー引き下がり、タオルとスポーツドリンクを与えられた。
 いよいよ友恵の出番だ。武者震いがきた。
「カレン百合、ジュディ千葉!」
奈津子に呼ばれて友恵はリングに入った。
(絶対、勝ってやる)
 アンリとグレースのファィトを見ているうち、全身に闘志が湧いてきた。
「さあ、来い。バカヤロー」
低く身構えたカレンが黄色い罵声を浴びせてくる。それも自分の闘志を高めるための気合いの一つだと分かった。
「おー、やってやるぞ。このメスネコ」
 嘲罵に応えながら、友恵も油断なく相手の動きを観察しながら、リングをゆっくり左回りに回る。
 カレンが右足に飛びついてきた。これをかわしてジャンプすると、全身で小柄なカレンを押しつぶしてやる。
「グフ!」
 蛙のようにペシャンコになったカレンをすばやく組みしいて右の利腕をねじあげた。中学の一時 期、けっこうツッパッてタイマンを張ったりした経験が生きてる。
「いてー! チキショー、離せ!」
 可愛い顔に似合わず口汚くののしるカレンの動きを封じながら手早く帯をといて上衣を脱がす。
 カレンのブラとスキャンティはピンクだ。ブラに手をかけたとたん、カレンの体が跳ねた。膝が友恵のみぞおちにめりこみ、
「ゲフッ!」
 油断していた友恵は体をまっぷたつに折って苦悶した。胃の中が空だったからよかった。何か入っていたら吐いたに違いない。
 苦悶してるうちにこっちの柔道着を脱がされてしまった。友恵の小麦色の肌を隠しているのはブルーのブラとスキャンティ。
(こいつ、侮れない……)
 背後からカレンを組みつかせたまま立ち上がり、そのままドウと後ろに倒れる。
「ギャ!」
 逃れるタイミングが一瞬遅れたカレンは後頭部をマットに打ちつけて目を回した。
 彼女が正気になる前にブラを引き毟り、スキャンティ一枚にすることが出来た。
「クソー」
 濡れた白い肌が上気して、カレンの目が狂気じみてつり上がってゆく。友恵の目もそうなっているに違いない。二人の娘の体内で敵意と闘志が沸騰している。
 その熱が観客たちにも放射されて、彼らの血も滾る。
「やれ、やっちまえ!」
「蹴りだ、カレン。蹴りをいれろ!」
「ジュディ、パンチだパンチ!」
 男たちの怒声、罵声はもう友恵の耳に入らない。
(この小娘、絶対に負かしてやるからね!)
 二人はしばらく睨みあってリングをぐるぐる回った。先に捨身の攻撃をかけてきたのはカレ ンだ。
 飛びついてきたので、てっきり足を払われると思って身構えたのだが、そうではなかっ た。片膝をついた姿勢でいきなりパンチを繰り出してきたのだ。
 左の乳房を直撃されて、 「む、うッ!」
 思わず息がとまってうづくまってしまった。頭を押さえつけられて前のめりにぶっ倒れる。首をカレンの腿がはさみつけてきた。
(げ、苦しい!)
 目の前がまっ暗になった。なすすべもなく暴れているうちにブラジャーが引きちぎられた。スキャンティにも手がのびてくる。
「コンチキショー!」
 必死で膝を立て、全身をバネにして立ち上がった。首を締めつけている腿を、がっちり抱 えこんで。カレンの体重が軽いから出来たのだ。
「キャー!」
 持ちあげられたカレンが腿の締めつけを緩めて逃げだそうとしたが、友恵はそうはさせじ と臀部を抱えこんだまま立ち上がり、力いっぱい彼女をほおりなげた。
 ドシーン。
「うーん……」
 したたかに背中から落ちたカレンが目を回しているうち、友恵はピンクのスキャンティ を剥ぎとった。白い下腹の茂みはキュートな顔立ちに似合わず剛毛がモシャモシャに繁茂している。
「ストップ! ジュディ千葉の勝ち!」
 奈津子がスキャンティ一枚の友恵の手をとりたかだかと掲げた。
(やったぁ!)
 友恵は両手をあげて歓声と拍手に応えた。水泳部で選手をやってた時でも、こんな歓喜は味わったことはなかった。自分の手で相手の肉体を打ちのめしたことの大いなる満足感。

   8

 三分休憩しただけですぐ、グレースとの対戦が始まった。
グレースはカレンのように軽量ではなく、しかも柔道の心得があるから、しばしば関節 技を決められ、友恵は苦戦した。
 グレースの帯もほどけないうち、たちまちスキャンティ一枚にされてしまった。
(こりゃ、負けるかな?)
 諦めそうになった時、グレースの弱点に気がついた。くすぐったがりやなのだ。特に脇腹が。
(そうか!)
 押さえこまれた時、脇腹や脇の下を擽ると、「ヒッ!」グレースは悲鳴をあげて体をよじり、力が抜けた。
「ほらほら、どうした」
 組みうちになると擽ってやる。たちまち攻守が逆転した。結局、グレースのスキャンテ ィも脱がしてしまった。
「くそー」
 弱点を知られたグレースは恨めし気な顔で友恵を睨んだ。
(二勝か。これで十万円はかたい)
 グレースとカレンの対戦をコーナーで見ながら、反対側のコーナーで待機しているアンリ町田に視線をやる。
(こいつに勝てるかなぁ)
 向こうはファイト歴が三回。九戦して一回しか負けていない。だから態度にも余裕がある。体格的にも劣る友恵を、いかにも見下したように視線をはね返してきた。
(クソ。負けるもんか。絶対、負かしてやる……)
挑戦する視線を受けとめて、かえって友恵はファイトが湧いてきた。自分に言いきかせる。
(こいつに勝てば二十万円だよ!)
 カレンはグレースにも負けた。
「ラスト・ファイト。アンリ町田、ジュディ千葉!」
 呼ばれて友恵はリングに進みでた。
「ファイト!」
 奈津子の合図にも、アンリの方は全然そ知らぬ顔で、ふてぶてしい笑みを浮かべたまま 動かない。
(舐めてるな)
怒りが湧いたが、自分に言いきかせた。
(待て待て。ノセられちゃいけない)
ゆっくり相手の隙を狙いながらリングを回る。体格で負け、俊敏性で負けるなら、どう やったら勝てるだろうか。くすぐったがり屋でもないようだし。
いきなりアンリの体が沈みこんだ。野球選手がベースにスライディングするように、友 恵の足元に滑りこんできたのだ。彼女の両足が友恵の左足首を払った。
「うわ!」
見事に足を払われて横ざまに倒れる。ここで体をひねったら向こうの狙いどおり背後に 回られてしまう。
(こうなったら……)
頭を低くして飛びついてくるアンリに向かった。まさかと思ったアンリの顎に頭突きが 決まった。
ガッ。
「むー……ッ」
口を押さえてよろめくアンリ。指の間から血がタラタラと流れ落ちる。歯を折ったか唇 を切ったかしたのだ。
(しめた)
 相手の首に腕を巻きつけて投げとばそうとした。しかしアンリも負けていない。いきな りその腕を逆にとってねじ曲げた。
「このヤロー!」
 腕が折れるのを防ぐために体を一回転させながら肘で彼女の脇腹をついた。
「うッ」
 ねじりあげていた腕の力がゆるむ。もう一度、今度は柔らかな下腹に思いきり肘打ちを 叩きこんだ。
「ゲ、ウッ!」
呻き声と同時に吐き出された血が友恵の頬に飛び散った。アンリはショートヘアにした 友恵の頭をがっちり掴むと、顔をシートに叩きつけた。
ガツ。
目の前に火花が飛び、視界が暗くなった。
帯が解かれ、上衣が脱がされる。
「このヤロー、シロートのくせに生意気なんだよ」
 朦朧としているのをいいことに、アンリはもう一度彼女の髪をひっ掴んだ。また顔を 叩きつけられたら間違いなく気絶する。友恵は膝を折り曲げ、背後に向けて思いきり蹴 った。
 ドス。
 蹴りは恥丘をモロに直撃した。
「ぐえっ!」
急所をやられてアンリは友恵の体から離れて、両手を股にやって悶えた。自由になった 友恵は両手を組み合わせ、バットをスイングするようにして水平に腕を彼女の首に打ちこ んだ。後で思いだしてみても、そんな技をどうして使えたのか分からない。
「ぐー!」
喉首に組んだ掌を叩きこまれたアンリの体は空に飛び、リングを飛びだして寄木細工の フロアに転がり落ちた。
その目は虚ろだ。
(今だ)
彼女の髪をひっ掴んで立ち上がらせると、思いきりリングの方へ投げとばそうとした。
「バカ」
虚ろな目は演技だった。今度は彼女の喉に水平打ちが飛んできた。避けようとしたらモ ロに鼻に受けた。バアッと血飛沫が飛んだ。
「すげえ」
「いいぞ」
「やれっ! 死ぬまでやれ!」
「殺せ、殺すんだ」
 観客は、男も女も夢中になって叫んでいる。血の匂いに酔っている。
 ガッと組みつき、ゴロゴロと転げ回る友恵とアンリ。どちらもスキャンティ一枚という 恰好で、肌は汗と血でヌルヌルだ。
「死ね!」
「てめーこそ死ね!」
 罵りあいながら互いに相手の首を締め、両膝で相手の腹を蹴りあう。まさに猫の死闘だ。 どれぐらい取っ組みあっていただろうか。
アンリの息が切れてきた。瞬発型の彼女のほうが先にスタミナを失なったのだ。
(こうなりゃ、こっちのもん)
素早く彼女の背後に回りこんだ。腕を首に巻きつけて裸締めだ。
「ぐぐ、グェーッ!」
ジタバタ暴れ、夢中で腕をひっ掻こうとする。手袋をはめた指ではダメージを与えられ ない。
「成仏しやがれ!」
首の骨を折るつもりで力をこめると、ガクッと力が抜け、アンリは口から血泡を吹いて 悶絶した。その体からスキャンティをひき剥がした。尿を洩らしたらしく温かい液体でぐ っしょり濡れている。
「ジュディ千葉!」
奈津子がスキャンティを握っているその手を、たかだかと揚げた。
(やった!)
歓喜のさなか、友恵は賞金のことも、借金のことも、何もかも忘れていた――。

                           (『闘う牝猫』終わり)